20150608初
20170122胡
【沿革】
長宗我部地検帳に「番中之内秋丸之村」とある。
それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)、南路志(1813)ともに「秋丸村」
明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、窪川郷上番の高岡郡窪川村・西原村・若井村・峯ノ上村・金上野村・見付村・大奈路村・根元原村・神ノ西村・大向村・高野村・根々崎村・若井川村、窪川郷下番の宮内村・仕出原村・大井野村・口神ノ川村・中神ノ川村・奥神ノ川村・檜生原村・寺野村・川口村・天ノ川村・秋丸村・野地村・家地川村、仁井田郷の東川角村・西川角村、これら28か村が合併し新設「窪川村」が発足し、秋丸村は大字となった。
桧生原、寺野、南川口、天ノ川、秋丸、野地、家地川、折合の8地区を「立西」と呼ぶ。
大正15年(1926)2月11日、窪川村は、町制を施行し「窪川町」となった。
昭和23年(1948)4月1日、幡多郡大正町の一部(折合)を編入した。
昭和30年(1955)1月5日、高岡郡窪川町、東又村、興津村、松葉川村、仁井田村が合併し新設「窪川町」となった。
平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。
地区内の班・組編成は、上組・中組・太田(おおた)・新田(しんでん)の4組となっている。
【地勢】
旧窪川町の南西端。西は大正北ノ川に接する。井細川との合流点下流の四万十川右岸地域で、四万十川沿いに平地が開け、山手に集落が展開する。主に農業地域。国道381号が通る。秋丸神社・河内五所神社がある。
(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央、西流する四万十川の右岸が秋丸地区)
【地名の由来】
丸の用例は、語頭につくと丸いお椀の形状を表すことで丸山などと使われる。語尾につく丸で有名なのは五郎丸や牛若丸の人名となる丸。これは中世における名田からきたもので、田畑の所有者をつけたものが主という。徳島県では〇〇丸という山名が多い。マルはモリ(森)の転訛したものといわれる。西日本では平地より高い台地の平坦地も〇〇丸と言う例もある。又、本丸、二の丸などといった城郭にちなむ地名があり城址探索の目安ともなる。村落を意味する丸が長野県にみられるがムラからマルに転訛したものと推測している(民俗地名語彙辞典)。
秋は、「安芸」の二音節と「秋田」のアキとは解釈が違ってくる。秋田のアキは低湿地帯をいうアクタと関係があるとみている。豊穣の秋にちなむ美称の例もある。アゲ(上)の転訛で高所・陸地の意味もある。ハキ・ハケの転で崩壊地形、川などの合流点。アキ(開)で開墾地の意味もある。
四万十町内にも〇〇丸の字が19か所あり、特に床鍋に多い。
秋丸は、昭和の合併時に、旧窪川町に2か所の大字「秋丸」があったため、松葉川地域の秋丸は上秋丸と大字名称を変更した。
この地の秋丸は、高岡郡と幡多郡の境であり伊予との往来からの要衝地である。その意味からも防御施設としての丸地名があっても不思議ではない。また、西日本で広範囲にみられる高い台地の平坦地としての丸地名も、秋丸は駄場地が広くみられることから考えられる。地内のホノギに「コハキマル」とあることから、アキでなくハキの転訛とも思える。
今後、四万十町内の〇〇丸の用例を現地踏査し考証したい。
【字】(あいうえお順)
荒平山、池ノ奥、石神、石神谷、伊豆、伊豆谷、伊豆ノ谷、臼杵、ウスギ、太田、大ノ花、春日田、上石橋、神主ヤシキ、窪田、越ヂノ川、越ノ下、コトコ、コトコ山、小松ノ川、瀬ノ上、高ノ段、月駄場、中六谷、中ム続山、無谷、野中、登り田、萩原、東路山、久田山、日ノ本、不動布晞、不動ホキ、松ケ窪、マユミノ川、ム谷続山【37】
(字一覧整理NO.順 秋丸p46~47)
1春日田、2越ノ下、3高ノ段、4登り田、5コトコ、6松ケ窪、7越ヂノ川、8池ノ奥、9東路山、10太田、11日ノ本、12野中、13ウスギ、14大ノ花、15無谷、16久田山、17窪田、18伊豆、19神主ヤシキ、20上石橋、21マユミノ川、22月駄場、23石神谷、24萩原、25不動ホキ、26荒平山、27瀬ノ上、30コトコ山、31松ケ窪(再掲)、35ム谷続山、36中ム続山、39伊豆谷、40真弓ノ川(再掲)、42石神、43不動布晞(再掲)、46小松ノ川、47臼杵(再掲)、48伊豆ノ谷(再掲)、49中六谷、50大田(再掲)、51松ガクホ(再掲)
※字マスターは「マユミノ川」で、字一覧では「21マコミノ川」。マユミノカワが正しいのでは
※字一覧の「15無谷」の読みがナシダニとなっているが、ホノギにムタ子とあることから「ムタネ」ではないか
※字一覧「27瀬ノ上」の読みがセノウエとなっているが、ホノギは「瀬ノアカリ」
【ホノギ】
〇仁井田之郷地検帳 五(高岡郡下の2/検地日:天正17年2月16日)
▼番中之内秋丸之村(p432~440)
コエノ下、ヲノハナ、丸タ、春日テン、野中、カウカノクホ、畠タ、トノタ、松ノクホ、キウリヤウ谷、スタノヲ谷、コエチ川、ホリタ、スケノサコ、タカアセ谷、ミソタ、ヒノクチ、コモリノヒサ、クロイシ、ヒノ下、シイノ木ノ本、永タノウシロ、イモシカ谷、ハキノ野、永タ、大タ、石神ノモト、ハシツメ、コハキマル、ヒノモト、シヤウインヤシキ、ミソタ、タハ畠、フルヤノマエ、ヒノクチホキ、ムタ子山、大ヲノハナウ子、サケアシ、ヲリヲノハナ、坂本谷、南ミソ、野中、ヲクヤシキ
(2月18日)
クホタ、宮ノ後、カイマイ大道ソイ、ハシツメ、カイマイ大道ノ面、宮ノ後大道ソイ、宮ノマヘ、鳥居ノモト、イタヤヤシキ、トトロカ瀬、ヲキタ、彦七タ、タキワキ畠、ヲキハタケ、鎮守ノモト、カチヤヤシキ、ヲキタ、中ヤシキハタケ、大屋、カミヤシキ、東ヤシキ、ノウシ山、シタ石ハシ
※この地域では谷のことをタネと発音する場合がある。ホノギ「ムタ子山」は字「ム谷山」に比定できないか
▽爰ヨリ又伊豆ノ谷ヨリ付(p440~441)
伊豆ノ谷、イツノヲク、西ヤシキ、神主ヤシキ、松隣庵寺中、名本ヤシキ、せウチ畠、ウシロ畠、ウワ石ハシ、林光畠、イハイテン、上クミチ、マユミノカワ、シヤクシキ、小マタ
▽爰ヨリマタ谷ヲクチヘ出テ付(p441~442)
マユミノカワ、トウインタ、キタノコウタ、ナラ谷、石神谷ノセイモト
▽爰ヨリ又大道ノウラ河ノ上南ノハシヨリ付(p442~443)
瀬ノアカリ、春日テン、大マタ、ソウハキ原、フタマタ瀬、桜ノモト、トヒノコ谷
▽大河ヲ南地ヘ渡(p443)
小松セ、シモハタ
【通称地名】
【山名】
荒平山(よみ/標高:)
【峠】
峠(地区△地区) ※注記
【河川・渓流】
越ヂノ川
無谷
伊豆ノ谷
真弓ノ川
【瀬・渕】
【井堰】
【ため池】(四万十町ため池台帳)
【城址】
【屋号】
【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳
秋丸神社/192あきまるじんじゃ/鎮座地:太田 ※村社
月弓神社/195つきゆみじんじゃ/鎮座地:マユミノ川 ※日暮ノ駄場に鎮座とある。字名に月駄場とあるが今はマユミノ川か
■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅰ」)
地検帳では、この部落名を番中之内秋丸之村と表現しており、枝村をもたない単独の村であったようである。そしてこの部落も寺野・桧生原部落同様窪川宣秋の占有する部落であった。(同p153)
・神社
秋丸神社(村社/字大田鎮座)/合祀:白皇神社、天神宮、須保神社、山津見神社 / 境内社:若宮神社
月弓神社(無格社/字日暮ノ駄場鎮座)
・寺院
重福寺(福円満寺の五福寺のひとつ)、松隣寺
■州郡志(1704-1711宝永年間:下p281)
秋丸村の四至は、東限川口村西限上山北之川南限野地村東西十六町南北三町其土赤
山川は、荒平山、六谷、瀧谷、舩戸越坂、五伊地之川谷
寺社は、天神社、川内権現社とある。
■郷村帳(1743寛保3年)
寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高143.099石、戸数28戸、人口152人、男86人、女66人、馬22頭、牛7頭、猟銃2挺
■土佐一覧記(1772-1775明和・安政:山本武雄著「校注土佐一覧記」p295)
安芸の歌人・川村与惣太が秋丸で草枕して読んだ歌
秋丸
さびしさは草のは山に置く露の 玉も乱るる秋の夕風
※今宵も草枕となる、先ほどまでの雨もやみ静まり返った山里。静かに風が通り過ぎるだけで、葉末の玉露が流れていく。(勝手読)
■南路志(1813文化10年:③p)
159秋丸村 仁井田郷本堂之内、又云井細川郷六村之一也。 地百四十二石二斗七舛七合
川内権現・白王権現 白王山 祭礼十一月十六日
天神 祭礼十一月十一日
地蔵 阿弥陀・薬師
重福寺 徃昔仁井田郷七福寺の一也、退転
本尊不動 徃昔寺領弐石八斗
松林寺 退転、徃昔寺領五石弐斗有
■ゼンリン社(2013平成25年)
p95:秋丸、四万十川、秋丸神社、日光大権現、Ю月の駄馬、Ю上秋丸、 Ю秋丸
p94:秋丸、神田、四万十川、県道秋丸佐賀線、野地橋、増太郎神社
■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)
秋丸、新田、四万十川、野地橋
■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)
なし
■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)
なし
■四万十町広報誌(平成24年1月号)