小鶴津

こつるつ


20150608初

20161107胡

【沿革】 

 長宗我部地検帳には「小鶴津」と記録されている。志和の枝村として大鶴津村とあるが小鶴津には書き忘れか「村」の記載がない。

 それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)では「小弦津村」、南路志(1813)では「小鶴村」とある。

 明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、仁井田郷の黒石村、志和峯村、飯ノ川村、弘見村、新在家村、平野村、道徳村、奈路村、数神村、藤ノ川村、 八千数村、与津地村、親ヶ内村、本堂村、小鶴津村、志和村、大鶴津村と窪川郷の向川村、18か村が合併し「東又村」が発足し、小鶴津村は大字となった。

 昭和30年(1955)1月5日、高岡郡東又村は、 窪川町・松葉川村・仁井田村・ 興津村と 合併し新設「窪川町」となった。

 平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。 

 地区内の行政区は、平成20年代に消滅集落となった。

 

【地誌】

 旧窪川町の東部。土佐湾西岸の海浜地域。西に六川山がそびえ、その東麓に1か所わずかばかり の平地が開け、小さな港もある。集落はこの平地に形成されていたが現在は無居住地である。国指定の天然記念物として、小鶴津の震源断層である興津メランジュ及びシュードタキライトがある。

(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央の弓型海岸が小鶴津地区)

  

【地名の由来】

 小鶴津と大鶴津が隣り合っている。

 九州では川の両岸の山が遠のいてやや広い平地をなし川が屈曲しているところを鶴・釣・津留・水流の字を充てた地名がある(民俗地名語彙辞典)。南冥北陵の地震大国の高知にあって、四万十帯の地層が太平洋プレートにのめり込む断層景観は地球が生きていることを示す。志和から小鶴津にむけて峠を越えるとその景観が広がる。断崖は一歩いざってしまうほどである。そこからは断崖沿いの細道を辿ると、そのなかにあって大小二つの鶴津は狭いながらも渚と平坦地がある。この弓状の渚を鶴の首ににみたてて鶴、その小湊として「小鶴津」としたものだろう。

 


地内の字・ホノギ等の地名

【字】(あいうえお順)

 イノ谷、大平山、北灘山、小鶴津灘西、小鶴濱林、(山林)、スナタセイコウ、寺ノ谷、灘西西ノ谷、本モ谷山、南灘山、南平山、浜添、矢竹敷、横川、ヲヲシクバイ【18】

 

(字一覧整理NO.順 小鶴津p140)

 1ヲヲシクバイ、2セイコウ、3西ノ谷、4横川、5スナタ、6イノ谷、7浜添、8北灘山、9(山林)、10小鶴濱林、11小鶴津灘西、12灘西、13北灘山(再掲)、14大平山、15本モ谷山、16南平山、17南灘山、18寺ノ谷、19矢竹敷

 

【ホノギ】 小鶴津

 是ヨリ小鶴津(仁井田之郷地検帳p116~119)/検地日:天正16年2月5日)

 セイカウヲウシュクハイ、樋ノ口、西ノ谷、白王宮ノ前、アンノ前、養清庵寺中、カウシン、鶴津尾、サイノヲ、松ノ前、中ワタ、シワハタケ、ヲカヤシキ

 ▼是ヨリイノ谷ノセイモトヨリ付(p119~120)

 イノ谷、マルセマチ、ナタノ西、松ノクホ、スナタ、シホハタケ

 

【地検帳の寺社】

 ・小鶴津

 養清庵

 白王、トウノ神

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【通称地名】

 

 

【山名】

山名(よみ/標高:)

 

【峠】

峠(地区△地区) ※注記 

 

【河川・渓流】

イノ谷 

 

【瀬・渕】

 

 

【井堰】

 

 

【城址】

 

 

【屋号】

 

 

【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳

(旧:白皇神社)/96しらおうじんじゃ/鎮座地:北灘山

大山祗神社/97おおやまづみじんじゃ/鎮座地:南平山

 


現地踏査の記録


地名の疑問


出典・資史料

■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅱ」)

 地検帳では小鶴津とのみ書かれ村名がつけられていない。したがって志和本村の一部であったのか、枝村であったのか明確でない。(同p514)

・神社

 白皇神社(無格社/字北灘山鎮座)/合祀:竈戸神社、山積見神社、水神社、恵美須神社、宇賀神社、志和川神社

 大山祇神社(無格社/字南平山鎮座)

・寺院:養清庵

 

■州郡志(1704-1711宝永年間:下p251)

 小弦津村の四至は、東限海涯西限庄司峯南限中山北限志和界峯縦二町横五十間其地砂土

 山は、轟山

 寺社は、地蔵堂、白皇社とある。

 

■郷村帳(1743寛保3年)

 寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」での小弦津村は、石高25.417石、戸数7戸、人口37人、男24人、女13人、馬0頭、牛7頭、猟銃0挺

 

■土佐一覧記(1772-1775明和・安政:山本武雄著「校注土佐一覧記」p299~300)

安芸の歌人・川村与惣太が鶴で草枕して読んだ歌

鶴と言う所にて或人の加算に詠める

 行末は千代に八千代に相生の 松によはひを契るとも鶴

 ※浜ノ川の相生の松もよかったが、この鶴の大海原もすばらしい。これで長生きすることができる。

  

■南路志(1813文化10年:③p288)

128小鶴村 仁井田郷、又云志和郷七村之一也。 又書大弦津村 地二十石

 今本田二十五石余、新田一石五斗余、家數五軒、人高二十一人

白尾権現 ツイクシノウヘ 祭礼九月十一日

養生庵 退転、本尊のミ残る。

 本尊地蔵 薬師寺支配、往古寺領一石、嶋岡丹波菩提寺

 

■ゼンリン社(2013平成25年)

p75:小鶴津、白皇神社

 

■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)

小鶴津

 

■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)

なし

 

■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)

伊ノ谷橋(排水路/小鶴津字イノ谷181)

横川橋(横川/小鶴津字セイコヲ35)

西谷反別橋(小鶴津川/小鶴津字西谷反別57)

灘西山橋(排水路/小鶴津字灘西山209-2)

※「西谷反別」という字名はない

 

■四万十町広報誌(平成22年10月号) 

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