仁井田

にいだ


20150608初

20170703胡

【沿革】

 長宗我部地検帳では、浜の川地区が「浜之河村」と「浜川村」、本田地区が「柿山村」と「柿木山村」、汢の川地区が「ヌタノ川村」、神有地区が「カメアリ村」と「カメアリ谷村」と「鉾ノ谷村」と「野田村」に区分されている。

 州郡志(1704-1711)では「神有谷(村)」「柿木山村」「濱野川村」「汢之川村」に区分

 南路志(1813)では「泏野川」「柿木村」「神有村」「濱之川村」と区分

 明治9年(1876)7月、高知県下の村市分合、改称等により神有村・小神有村・浜ノ川村・汢ノ川村・柿ノ木山村が合併し「仁井田村」となる。

 明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、高岡郡床鍋村、影野村、奥呉地村、魚川村、下呉地村、替坂本村、六反地村、仁井田村、小向村、中ノ越村、富岡村、平串村の12か村が合併し「仁井田村」が発足し、仁井田村は大字となった。

 昭和30年(1955)1月5日、高岡郡仁井田村は、 窪川町・松葉川村・東又村・ 興津村と 合併し新設「窪川町」となった。

 平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。

 地区内は広く、仁井田・神有上・神有下・汢の川・本田・浜の川の6つの行政区がある。仁井田は0班から8班まで9つの班・組編成がされている。0班は珍しいが、数値で区分される場合、その過程で1班の隣接するところに、新たに宅地造成(公営住宅とか)され細分化する必要が生じて加えたものであろう。列車のホームにも0番ホームと呼ばれるものが多い。

 

【地誌】

 旧窪川町の中央部北東寄り。仁井田川中流から下流にかかるあたりに開けた平地。集落は国道沿いに旧仁井田村の中心市街地とともに神有集落、汢の川集落、本田集落、浜ノ川集落からなる。JR土讃線と国道56号および、国道から分岐する県道324号七里仁井田線・主要地方道52号興津窪川線が通るなど交通の要衝。JR仁井田駅・仁井田小学校・仁井田郵便局・仁井田町民館・島神社・琴平神社・海津見神社・三日月神社・白皇神社がある。障害者支援施設オイコニアや近年老人福祉施設としてケアハウス等が開設された。

(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央下段の市街地が中心部となる仁井田地区)

 

【地名の由来】

 仁井田の地名は現在の行政区の「仁井田」地区とは違い、窪川台地全域をさす地名であるので、先ずは窪川開拓の祖といえる玉澄こと新田橘四郎小千玉澄の由来と幡多の仁井田庄の説明が必要となる。

 

 窪川町史(p97)に『伊予生まれの(小千24代玉興の)異母弟新田橘四郎玉澄は、かねてから越智家を継承する約束であったが父・兄と仲たがいし「しばらくここを去って徳を修めよ」との神霊のお告げがあり土佐に入ることになった』という。 

 また、町史には伊予河野氏系図として「玉澄は665年ごろ生まれ700年ごろに仁井田大明神を祭り、越智25代を継ぐ」と書かれていることから、長宗我部以前の仁井田五人衆の時代より、千年近く前の話となる。

 白村江の戦い(663年)に敗れた西国分大軍武者伊予家(小千)23代守興は越の国生まれの婦人と子に小千家代々伝わる太刀を形見に残し日本に帰る。と、その子長じて父を訪ね伊予道後に来たのが24代を継ぐ玉興で”この水の可なること、予が里よりす”と言ったことから水と可で”河”、予と里で”野”を組み合わせ河野を称したという。母が越人(石川・富山・新潟の区域)であったことから小千を異字同音の越智氏に改めたという。伊予家、小千家、河野家、越智家と家名がいろいろあることから分かりにくいが、中世の窪川の記録として残るのは玉澄であり、河野家の末裔であろう。

 

 諏訪将人『志和物語p15』には、そのいきさつが詳しく述べられる。諏訪氏は「玉澄は高原地に落着いた。玉澄はここを永住の地ときめた。玉澄はその地を新田と称した。後の仁井田である。之は玉澄の名が新田橘四郎小千玉澄といったのに因る」と述べ、玉澄の名が仁井田の由来と」している。

 仁井田五人衆のうち玉澄の後裔である3人のうち東氏、西氏はともに新田庄司といわれたがニ家に分かれて東新居庄、西新居庄司といった(これは東新居田庄司、西新居田庄司を略したものである。3人のうちもう一人は志和氏である。)。

※「庄司」とは、中世の荘園を管理するため荘園領主から現地の管理を委ねられた役人の総称。「荘官」に同じ。下司、公文など

 

 町史では「異母弟新田橘四郎玉澄」と、24代玉興の母違いの弟としているが、志和物語では「守興の嫡男新田橘四郎小千玉澄(p16)」としている。異母弟玉澄より嫡男玉澄が正しい書き方のように思える。それにしても、越人の側室の子である玉興がどうして越智家を継承したのか、律令国家の始まりで嫡男・嫡子の考え方が厳格でなかったのかもしれない。

 

 『高知県神社明細帳』の高岡神社の段には、伊予から土佐に来た玉澄が「高キ岡山ノ端ニ佳キ宮所アルベシ」の神勅により「海浜ノ石ヲ二個投ゲ石ノ止マル所ニ宮地」を探し進み「白髪ノ老翁」に会う。「予ハ仁井ト云モノナリ(中略)相伴ヒテ此仕出原山」に鎮奉しよう。この仁井翁、仁井の墾田から、「仁井田」となり。この玉澄、勧請の神社を仁井田大明神と言われるようになったとある。

 また、「仁井田」の由来については、浦戸湾に浮かぶツヅキ島に仁井田神社があり、由緒書きには次のように書かれてある。

 伊予の小千(後の越智)氏の祖、小千玉澄公が訳あって、土佐に来た際、現在の御畳瀬付近に上陸。その後神託を得て窪川に移住し、先祖神六柱を五社に祀り、仁井田五社明神と称したという。この縁から三年に一度、御神輿を船に乗せ浦戸湾まで”船渡御(ふなとぎょ)”が行われた。この御神幸は波静かな灘晴れが続くときに行われるため、”おなバレ”と土佐では言われる。この時の高知での御旅所が三里(現在の仁井田)の仁井田神社であるといわれる。窪川の仁井田五社から勧請されたのが高知の仁井田神社であると伝えられている。(ツヅキ島の仁井田神社は横浜地区の総鎮守で地元では”ツヅキ様”と呼ばれる。写真参照)

 

 窪川台地の大規模な開墾はこの仁井田大明神(現、高岡神社)周辺から始まり、仁井田大明神の崇敬とともに、仁井田庄七郷に開田が進んだといえる。仁井田は窪川台地の別称と言えるのではないか。

 

 四万十川第1支川に床鍋を源流にし、根々崎で四万十川合流する仁井田川がある。四万十川の河川名称が有名になる以前は、渡川(漁師には大川か)と呼ばれていたが、大正(旧田野々)から上流の本川が仁井田川であった。瀬里轟に架かるJR予土線鉄橋の名称は「新井田川橋梁」である。仁井田米のブランド名称と同じように窪川台地で作付けされる米、それを育む水そのものが「仁井田」であったのだろう。

 中世のころ、窪川の地は幡多一条氏が支配する荘園で仁井田庄七郷とよばれた。七郷は、新在家、本在家、井細川、窪川、久礼、志和、神田の七郷である。

 慶長8年(1603)山内一豊公御巡国のときから仁井田郷と呼ばれるようになった。長宗我部地検帳の表紙にも仁井田郷地検帳とある。仁井田庄と仁井田郷の明確な区分はなかった。(詳しくは甲把瑞益著「仁井田郷談」参照)

 

 

 それでは、中世以前から仁井田庄、仁井田郷と云われていた広域の地名が、どうして明治9年の合併で神有村・小神有村・浜ノ川村・汢ノ川村・柿ノ木山村を「仁井田村」としたのか不思議である。

 

 ▼ニイダの語彙

 ニイタの音韻はニイ・タとなるだろう。ニイは①ニイ(新)で「新しい」意の接頭語②ニ(赤・丹・二)の長音化。赤土の田、ニブ(丹生・鈍)で緩傾斜地、ニ(二)で二番目の意③ニ・ヰ(川)・タ(田)と三音節に分ければ、赤土の川が流れるところの田となるのか。 

 

 ▼ニイダの分布

 電子国土Webで検索すると、「仁井田・新井田・二井田」地名は秋田県、福島県、岩手県、山形県、青森県と東北地方に多く分布する。高知県は仁井田として3カ所の大字がある。柳田国男氏の方言周囲論に合致する分布となる。

 〇仁井田

・秋田県(秋田市、能代市、横手市)

・福島県(福島市、いわき市、須賀川市、白川市、田村市、本宮市、鏡石町)

・その他、茨木県北茨木市、栃木県高根沢町、徳島県佐那河内村

・高知県(高知市、香美市、四万十町) ※四万十町大道に「仁井田又」地名がある。

 〇新井田(青森市、八戸市、岩手県久慈市など青森・岩手・山形に多い)

 〇二井田(秋田県大館市・湯沢市、福島県伊達市)

 

 ▼県内の字の分布(付近の派生地名は略した)

 〇仁井田(字一覧の提供を受けた市町村の掲載)

・安田町船倉字仁井田シマ

・安芸市入河内字仁井田

・安芸市栃ノ木字仁井田

・安芸市穴内字上(下)仁井田

・安芸市馬ノ上字仁井田 

・芸西村和食乙字仁井田ヶ谷

・香美市土佐山田町佐野字仁井田

・香美市土佐山田町西後入字仁井田宮ノヲク 

・香美市土佐山田町曽我部字仁井田

・香美市土佐山田町東川字仁井田

・香美市香北町吉野字仁井田

・香美市香北町岩改字仁井田

・香美市香北町萩野字仁井田林

・香美市香北町日浦込字仁井田林

・香美市物部町拓字仁井田谷

・南国市稲生字仁井田汐田

・南国市浜改田字仁井田

・大豊町馬瀬字仁井田

・大豊町式岩字仁井田

・いの町大内字仁井田ノ木

・いの町小野字仁井田

・越知町横畠南字仁井田谷南路

越知町横畠東字仁井田ヶ谷

・越知町南片岡字仁井田

・土佐市西鴨地字仁井田内

・四万十市津蔵渕字仁井田前

・四万十市間崎字仁井田ノ原

・宿毛市小筑紫町福良字仁井田

・宿毛市平田町戸内字仁井田山

・宿毛市山奈町芳奈字仁井田

・土佐清水市有永字仁井田ノ田

※仁井+田が大部分ではあるが、「仁井(新)+屋」が香美市物部町、大豊町、いの町葛原、津野町に数カ所ある。

 

 ▼仁井田神社の分布

 廣江井清『長宗我部地検帳の神々p110』で「仁井田宮は43社(安芸郡4、香美郡7、長岡郡11、土佐郡3、吾川郡1、高岡郡2、幡多郡15)」と県内の分布を示し「仁井田という神名は何を意味するのであろうか。端的に言って”仁井田”は”新田”ではなかろうか。(中略)つまり新田(にいだ)の宛字が仁井田であろうというわけである。また新井田というのがある。」と述べている。

 続いて廣江氏は「新田の守り神が仁井田大明神であり仁井田権現である。”神社明細帳”の祭神からみると、一番多いのが大山祇神、五山祇(書記の一書に出ている五柱の神、山の神の各種の徳を表したもの)である。山ノ神として伝承されたものが、神名決定の時に山祇神があてられたものであろう。」と述べている。

 新田なのに山ノ神とは変に思われるが、『綜合日本民俗語彙』には山の神について「山を支配する神。農民はこれを田の神と結びつけて信じており、春秋二季の特定の日に山の神が田の神と交代するとか、山の神が里に降りて田の神となるとかいう話は古くから広範囲に行われていた。」とある。

 

 諏訪将人『志和物語p44』で「高知県史の中で、新居神社、五所神社、仁井田神社、新田神社、五社等の名前で出てくる仁井田神社関係を拾ってみると、安芸郡7、香美郡16、長岡郡23、土佐郡7、吾川郡3、高岡郡15、幡多郡17、計88社である」とし、「概ね大山祇神、五山祇神を祭神としており、これらの中で越智氏の祖神である大日本根子彦大述尊(おおやまとねこひこおおじのみこと・孝霊天皇)、磯城細姫命(しきくわしひめのみこと)、大山祇命(おおやまずみのみこと)、吉備彦狭島命(きびひこさしまのみこと)、伊予二名洲小千命(いよふたなしまおとみこと)、伊予嶋天狭貫命(いよしまあめのさづちのみこと)等五柱の越智氏祖神を祭神とする仁井田神社は次の八社である。」としてる。

 ・高岡神社(仁井田五社):高岡郡四万十町仕出原(宮内)

 ・仁井田神社      :高知市仁井田(旧長岡郡三里)

 ・仁井田神社      :長岡郡本山町吉延(旧記/高岡神社より勧請)

 ・五社神社       :南国市稲生

 ・仁井田神社      :高知市北秦泉寺(旧記/高岡神社より勧請)

 ・仁井田五所神社    :香美市土佐山田町佐野

 ・仁井田五所神社    :高岡郡越知町横畠東

 ・五社神社       :土佐市新居本村

 

 

 

 

 (未定稿)

 


地内の字・ホノギ等の地名

【字】(あいうえお順)

 有ノ木ノ本、池ノ谷、イサイ川石ゾ子イタヅリ田、稲井、岩ノ本、後口窪、後口山、上ハ中野、梅ノ木谷、栄城田永泉畑、水分、狼谷、大田、大平、大ヤケソ、小倉木谷、小倉木、尾上、垣ノ内、柿ノ木ノ窪影田カゲダカケダ山、片木澤、カツ籠谷、上シンカイ、上屋式、川原田、菊ノ才能、岸田木原牛王ノ本ギワイタ、窪田丸、熊ケ写、倉木黒石谷、耕田丸、小奈良地、コムカイ、坂本、笹保呂、定足、サデ場ノ下、サンスケ、椎ノ木ノ下、師子場、下タ切、清水田、下中野、下ヤシキ、次郎間谷、城ノ端、深谷、深谷山、シンドリバタ、砂ケ瀬、清玉庵高岡寳田田中ノ窪、タナ田ノ下、玉川田、茶臼山、陳カ森、追退谷、追退谷山、ツバ原、寺カ谷、テンノコエ山、道尻、ドウメン、都色屋式、鳥ノ駄場、中切、ナガザコ、中島、長田、南都、西影田、入道入道谷、根木ノ川、野田、長谷、林カ谷、林ケ谷山、ヒイラギ谷、東野、久茂田、檜ダバ、ヒロ田、ヒロ野、冨家、札建場、坊次郎防次郎谷、ホキノ口、ホコノ谷ホコノ谷山、本モ谷、松角、松ノ下、松ノ本、南谷宮ノ下、宮ノ谷、鞭カ坂、本原、柳田、柳ノ本、山伏ダバ、弓場、籠ケ谷、ヲリヲ【118】

※字マスターでは「寳田」を「たからだ」と読んでいるが、ホノギに「ホウタ」とある。

字マスターでは「上屋式」を「かみやしき」と読んでいるが、ホノギに「ウワヤシキ」とある。

 

(字一覧整理NO.順 仁井田p101~104)

1上シンカイ、2高岡、3田中ノ窪、4檜ダバ、5南谷、6大ヤケソ、7根木ノ川、8シンドリバタ、9清水田、10尾上、11清玉庵、12寺カ谷、13永泉畑、14石ゾ子、15坊次郎、16コムカイ、17ナガザコ、18牛王ノ本、19カケダ山、20入道、21カゲダ、22ギワイタ、24入道谷、25松角、26籠ケ谷、27池ノ谷、28長谷、29柿ノ木ノ窪、30黒石谷、31ヒロ田、32長田、33川原田、34東野、35ヒロ野、36ホキノ口、37下中野、38上ハ中野、39有ノ木ノ本、40狼谷、41定足、42倉木、43椎ノ木ノ下、44追退谷山、45サデ場ノ下、46片木澤、47テンノコエ山、48深谷山、49野田、50後口窪、51ドウメン、52弓場、53冨家、54イサイ川、55タナ田ノ下、56ツバ原、57ホコノ谷山、58小倉木、59陳カ森、60上屋式、61札建場、62窪田丸、63中島、64城ノ端、65中切、66道尻、67砂ケ瀬、68サンスケ、69水分(エイブン)、70南都、71松ノ本、72垣ノ内、73柳ノ本、74久茂田、75本原、76大田、77山伏ダバ、78松ノ下、79西影田、80イタヅリ田、81宮ノ下、82ヲリヲ、83耕田丸、84岸田、85栄城田、86岩ノ本、87下ヤシキ、88玉川田、89都色屋式、90小奈良地、91宮ノ谷、92下タ切、93寳田、94稲井、95笹保呂、96坂本、97柳田、98熊ケ写、99林ケ谷山、100茶臼山、101柊谷、102ヒイラギ谷、103鳥ノ駄場、104高岡、108防次郎谷、109影田、112カツ籠谷、113梅ノ木谷、114次郎間谷、117定足、118追退谷、119深谷、120小倉木谷、121ホコノ谷、122大平、124師子場、125林カ谷、127本モ谷、128後口山、129菊ノ才能、130鞭カ坂、131上屋敷、132木原

※59陳カ森は陣が森ではないか

※69水分の読みはエイブンでよいか、それとも永分か

※104高岡・117定足は、字マスターに未登録

 

【ホノギ】柿木山村/枝村:浜之河村、ヌタノ川村、カメアリ村、カメアリ谷村、鉾ノ谷村、野田村

高岡郡久礼分地検帳之事(高岡郡下の1/検地日:天正16年2月15日~21日) 

 ▼浜之河村p614~615/2月15日) 

 山ノ下、大クボ、下ギレ、ウツシリ、松ノ下地イタトリ谷キシデン、牛王デン

 柿山村(p615~618/2月16日) 

 清玉庵ノ前、西新開、竹ヤシキ、田中、神田、南谷、アセノ谷、西方谷、平ゴシダ、■ツケウダ、高岡新開、堂ノ本、ミゾレタ、ミスマ新開、ウツケサイノウ

 浜川村p619~622/2月17日)

 サウノカイ、ツユノハナ、大タ木ノハラ松ノマエ、野ソエ、柳ノ本、入エ、公文テン、クイノ本、エイシウタ岩■

 柿木山村p622~624/2月18日)

 柚木畠新開、永見畠、エノ木ヤシキ、ホウシロ谷、ホリタフチ、石ソ子、下六畠、コムカイ、山ノ子、渕ノ本、牛王ノ本

 ヌタノ川村p624~627/2月19日)

 コウカノ木本、中川原、ユノミフシヤテン、カケタギワイタ、クイノ本、ヲリヲノハナ、田中タ、入道カ谷、石タ、柿ノ木本、カエタ、黒石谷ヒロタ永タ、中野、観音堂、窪ヤシキ、左馬丞ヤシキ

 カメアリ村p627~631/2月20日)

 カメアリ、下ヤシキ、山ノ下、シンカイ、窪タ川辺、カキニ入、谷、堂ノ下、寺ノ前、クホタ、ハシノ本

 カメアリ谷村p631~633/2月21日)

 龍王ノ本、北谷ノヲク、アンノダン、宮ノ本、ハシノ本、クイノ本、コホウタ、シタキリホウタ、大タ、坂本口林ノ谷、坂本谷、大タ

 鉾ノ谷村p633~634/2月21日)

 鳥居ノ前、イサイ川ダツバ原ウワヤシキ、分ダ、デントウヂヤシキ、■■ラギ、竹ノクホ

 野田村p634~636/2月21日)

 ノダコクラギユハノ木、仏ノ窪、クラギ、コズロ谷 

 

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508仁井田・集成図.pdf
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508仁井田旧全図.pdf
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508仁井田字名一覧表.pdf
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【通称地名】

 

 

【山名】

山名(よみ/標高:)

 

【峠】

峠(地区△地区) ※注記

 

【河川・渓流】 

仁井田川(にいだがわ)

防次谷川(よみ) ※字名は「坊次郎谷」

根木川(根木の川/ねぎかわ))

汢の川(ぬたのかわ)

定足谷川(よみ)

川原越谷川(よみ)

神有谷川(かみありたにがわ)

浜の川谷川(はまのかわたにがわ)

倉木谷川(くらきだにかわ)

 

【瀬・渕】

  

 

【ため池】(四万十町ため池台帳)

倉木谷池

松角池

上池

下池

 

【井堰】

 

 

【城址】

 

 

【屋号】

 

 

【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳

三日月神社/21みかづきじんじゃ/鎮座地:定足 ※村社(汢ノ川集落)

※現在は汢ノ川集会所へ移転。国土電子Webは定足に神社記号がある。

海津見神社/22わだつみじんじゃ/鎮座地:宮ノ谷 ※村社(神有集落)

白皇神社/23しらおうじんじゃ/鎮座地:寺カ谷 ※村社(柿ノ木山組→本田集落)

琴平神社/24ことひらじんじゃ/鎮座地:鳥ノ駄場

西宮神社/25にしのみやじんじゃ/鎮座地:下ヤシキ

嶋神社/26しまじんじゃ/鎮座地:後口山 ※村社(浜ノ川集落)

※ゼンリン社p43に「嶋神社・八幡宮」。

 


現地踏査の記録


地名の疑問


出典・資史料

■金剛福寺文書「蠹簡集」(1300正安2年)

 正安ニ年十一月左大将一条内実政所下文に「仁井田山参斛五斗

 諏訪将人『志和物語p42』に上の文書を引用し「足摺の金剛福寺供養奉加官米を”幡多庄官百姓”に割り当てた際、仁井田山には三石五斗が割り当てられている。この仁井田山が当村一帯を指すものと思われる。はじめ杣として幡多庄に含まれ、開発が進んで村名でよばれるようになったものと考える。」と”仁井田”の出自を説明している。

 

■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅰ」)

浜ノ川(同p262)

 地検帳の記録によると、この部落の部落名について浜之河村と浜川村と二通りに書きわけられており、天正16年2月15日の後半に検地を行った部分が前者、同月17日に検地を実施した地域に後者の村名が記録されている。

・神社

 嶋神社(村社/字東谷東後口山鎮座)/合祀:八幡宮、竈戸神社

仁井田(同267)

 地検帳ではこの部落の村名を柿山村と表現した箇所と、柿木山村と表現した箇所があり二通りになっている。しかしいずれも”かきのき山村”と呼ばれていたものと思われる。

 検地を行ったのは天正16年2月16日と18日の両日

・神社

 白皇神社(村社/字寺ヶ谷鎮座)/合祀:聖神社、仙神社、庚申宮、水神宮、山積神社、竈戸神社

 西宮神社(無格社/字シモヤシキ鎮座)

・寺院

 清玉庵

・コムカイ

 当時の小向は地検帳の記録で”コムカイ”の小字名ででている土地は6筆にすぎず、未開発地であり柿木山村の一部分であったようである。

汢の川(同p275)

 地検帳では”ヌタノ川村”としており、枝村をもたない単独の村であった。

 検地を行ったのは天正16年2月19日のことであり、一日で終了している。

・神社

 三日月神社(村社/字定足鎮座)/合祀:山之神社、竈戸神社

・寺院

 観音堂、栄泉寺

神有(同p281)

 地検帳の記録によると、この部落はカメアリ村・カメアリ谷村・鉾ノ谷村そして野田村の四か村で構成されている。これは本村・枝村の関係ではあろうが、それにしても小区分しているものと思う。

※佐々木氏は神有を構成する村のひとつとして野田村をあげているが、六反地に字「倉木谷口」「野田ノ前」があることから、倉木谷の下流域は六反地の区域となる。

 検地を行ったのは天正16年2月20日と21日の両日にわたって行われており、汢の川部落に引き続いている。

・神社

 海津見神社村社/字宮ノ谷鎮座)/合祀:鉾神社、森王神社  境内社:大社、竈戸神社

・寺院

 万福寺(福円満寺五福寺のひとつ。行基建立の伝承)

 

■州郡志(1704-1711宝永年間)

神有村(同p257)

  神有村の四至は、東限川西限本在家村坂南限濱之川村北限六反地村新田縦八町横六町其土黒

 山川は、藏木谷山、鉾之谷山、神有山

 寺社は、権現社、八大龍王社

 古蹟は、城址「曰茶臼之森」とある。

 柿木山村(同p257)

  柿木山村の四至は、東限山西限大路南限小向村新田北限小松角山縦十町横三町其土黒

 山川は、松角山、祢幾之川山

 寺社は、観音堂、白皇権現社、熊野権現社とある。 

濱野川村(同p258)

 濱野川村の四至は、東限大路西限谷南限鞭坂北限神有界縦六町横三町其土黒多砂石 

汢之川村(同p289)

  汢之川村の四至は、東西二町南北三町其土黒

山川は、松角谷、弥十郎谷、黒石谷、入道之谷

寺社は、権現社とある。

 

■郷村帳(1743寛保3年)

ぬたの川

 寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高67.139石、戸数4戸、人口17人、男9人、女8人、馬2頭、牛2頭、猟銃0挺

柿木山

 寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高135.899石、戸数36戸、人口157人、男80人、女77人、馬13頭、牛5頭、猟銃0挺

神有

 寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高159.097石、戸数24戸、人口105人、男54人、女51人、馬6頭、牛17頭、猟銃0挺

浜ノ川

 寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高31.753石、戸数5戸、人口22人、男12人、女10人、馬3頭、牛1頭、猟銃0挺

 

■土佐一覧記(1772-1775明和・安政山本武雄著「校注土佐一覧記」

安芸の歌人・川村与惣太が柿木山(仁井田)で草枕して読んだ歌

 此里の夕煙を見て

山里は夕入雲にうづもれて 柴の煙の末もわかれず (p290)

※里の夕餉の煙は闇に消えよくは見えない。すっかり遅くなってしまったが、安芸のみなは達者だろうか(勝手読)

図書館本系統本では「天川(天ノ川)」の次に掲載、広谷系統本では志和→津留→津野山→鳥形山の次である。

※季節は不明。

 

 茶臼森  校注土佐一覧記では「仁井田」としているが、「茶臼森」は四万十市坂本の「香山寺」のことではないか

 此森は瓦越と言う所の辺りなり。或人此名を題して歌よめと乞はれる時俳諧歌

風はやみ時雨て行くか瓦越 茶臼が森に雲ぞたなびく (p318)

※瓦越えを時雨のなか足を進める。茶臼が森に雲がたなびいている。その向こうは晴れているかもしれない(勝手読)

※「茶臼森」を題にして詠んでと懇願されたという。「茶臼」は全国各地に分布する山。茶臼は、字のごとく葉茶を挽いて抹茶にする石臼のこと。茶臼山は茶臼に似た末広がりの形の富士山のような山。古墳跡や山城跡にも「茶臼山」が多い。

※この歌は校注土佐一覧記では幡多郡の段に収録(p318)されている。この歌の前に敷地(四万十市敷地)の歌があり「姫小松宿に移して行末の・・・」とある。同書p290には、柿木山、茂串、古城の次に小松村として「姫小松うつし植てや今日よりは・・・」と歌っている。同じ「姫小松」の歌であるが不思議である。

※山本氏はこの歌の所在を「窪川町仁井田」としている。確かに仁井田に茶臼山はあるが、はたして正しいか。「瓦越」と「茶臼」がどこにあるか、各種文献を調査したが、中村界隈で茶臼山の記録はない。

図書館本系統本では「敷地(四万十市)」の次に掲載、広谷系統本では石見寺→敷地→茶臼森→岩田→中村となっている。旅のルートからしても「茶臼森」は仁井田ではないようだ。四万十市岩田近くに「瓦谷」がある。ここが、四万十川に越える瓦越ではないか。瓦越を抜けると眼下に四万十川が流れその向こうに香山寺が、まさに茶臼のように座している。ここではないか。

※香山寺は、標高221.95m、点の記には、点名が香山寺(こうさんじ)、三等三角点、所在は四万十市坂本字川平山とある。弘法大師開山の香山寺がある市民の森。)

季節は不明。

 

■南路志(1813文化10年)

148泏野川 仁井田郷本堂之内、又云久礼郷十村之一也。 地六十六石一斗八升七合

天神 祭礼九月廿五日

三日月大明神 松角山 同九月三日

 

149柿木村 同今云柿木山 地百三十六石八斗三升

白王権現 シヲリカ谷 旗一流有 祭礼九月廿五日

両社権現 寺カ谷 正体石 祭礼同上

 

172神有村 仁井田郷本堂之内、又云久礼郷十村之一也。 地六十二石三斗二升

八大龍王 龍王山 祭礼九月廿二日

鉾権現 権現山 同九月廿四日

牛王権現 デンカ森 

地蔵 中間ヤシキ北 木佛

万福寺 往昔仁井田郷七福寺の一也、退轉。

 本尊観音 往古寺領弐石弐斗八升

 

173濱之川村 仁井田郷本堂之内、又云久礼郷十村之一也。 地三十一石二斗一升三合

 

■ゼンリン社(2013平成25年)

p31:仁井田、JR土讃線、社会福祉法人明成会身体障害者支援施設オイコニア、(倉木谷池)、(神有)

p32:仁井田、仁井田川、高知自動車道、(汢の川)

p36:仁井田、仁井田川、県道七里仁井田線、高知自動車道、海津見神社、(神有)、(汢の川)

p37:仁井田、汢の川、三日月神社、仁井田川、高知自動車道、(松角池)

p43:仁井田、仁井田川、根木川、主要地方道興津窪川線、本向橋、ケアハウス四万十ピア、老人ホーム仁井田の里

 JR土讃線、嶋神社・八幡宮、浜の川Ю、(浜の川)、(本田)

p44:仁井田、仁井田川、県道七里仁井田線、主要県道興津窪川線、高知自動車道、JR土讃線、仁井田駅、町立仁井田小学校

 仁井田町民会館、白皇神社、グループホームゆうき、(本田)、(上池)

p45:仁井田、(本田)、(下池)

 

■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)

仁井田、神有、仁井田、浜の川、本田、汢の川、仁井田川、土讃線、仁井田駅、河原越隧道

 

■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)

仁井田(四等三角点:標高389.09m/点名:にいだ)字深谷1589番地

茶臼森(四等三角点:標高401.83m/点名:ちゃうすもり)字茶臼山661-1番地 

 

■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)

永泉畑橋(防次谷川/仁井田字永泉畑81-1)

牛王ノ本橋(汢の川/仁井田字牛王ノ本245-1)

汢の川橋(仁井田川/仁井田ホキノ口379-4)

定足谷橋(定足谷川/仁井田字黒石谷1567-4)

野田橋(倉木谷川/仁井田字野田504-ロ)

城ノ端橋(神有谷川/仁井田字城ノ端758)

小奈呂地橋(川原越谷川/仁井田字小奈呂地1293)

中切橋(無名/仁井田字中切778-6)

大田口橋(浜の川谷川/仁井田字大田994)

耕田丸橋無名/仁井田字耕田丸1153)

根木橋(根木の川/仁井田字檜ダバ50-8)

本向橋(根木川/仁井田字菊ノ才能112-2)

仁井田橋(仁井田川/仁井田字南部897-2) ※字マスター「南都」の錯誤?

※小奈呂地橋とあるが字名は「小奈良地」

 

■四万十町広報誌(平成29年1月号・2月号)

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