20150608初
20161212胡
【沿革】
長宗我部地検帳には「是ヨリ川津野之村」として検地されるが「西川角村」という記録はない。
それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)にはじめて「西川角村」とあり、南路志(1813)には「西川津村 今書、西川角村」と書かれる。
明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、窪川郷上番の高岡郡窪川村・西原村・若井村・峯ノ上村・金上野村・見付村・大奈路村・根元原村・神ノ西村・大向村・高野村・根々崎村・若井川村、窪川郷下番の宮内村・仕出原村・大井野村・口神ノ川村・中神ノ川村・奥神ノ川村・檜生原村・寺野村・川口村・天ノ川村・秋丸村・野地村・家地川村、仁井田郷の東川角村・西川角村、これら28か村が合併し新設「窪川村」が発足し、西川角村は大字となった。
大正15年(1926)2月11日、窪川村は、町制を施行し「窪川町」となった。
昭和23年(1948)4月1日、幡多郡大正町の一部(折合)を編入した。
昭和30年(1955)1月5日、高岡郡窪川町、東又村、興津村、松葉川村、仁井田村が合併し新設「窪川町」となった。
平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。
地区内は、1班から6班までの班・組編成となっている。
【地誌】
旧窪川町の中央部北寄り。勝賀野川との合流点下流に開けた四万十川右岸の平地。主に農業地域。集落は西部の山麓に沿って展開する。山麓を県道322号松原窪川線が通る。天神宮がある。
(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真上部、南流する四万十川の右岸の広い農地が西川角地区)
【地名の由来】
「川の船着き場」 ー五社に渡る大川の東西の渡しー
辻重憲氏が窪川の地名と変遷と村名・地名の由来と題して『史談くぼかわ・第5号』に書かれているが、東川角・西川角について「南路志には、西川津野村、東川津野村と記してある。津は船着き場のこと。五社参拝の時には、この両村の渡船場があった。それで西川津の村、東川津の村、それが転じて西川角、東川角となった。」と述べてる。
辻氏は、カワヅノを「カワ・ツ・ノ」の三音節に分けて「川の船着き場の」として、「野」は裾野の野でなく助詞の「の」であると説明している。
川津・河津は全国に分布する地名であるが、伊豆の河津桜はとくに有名である。
四万十町内でも、カワツサコ(字/折合)、カワヅ谷(字/七里・小野川)、川津口(字/向川)、カワヅ(字/希ノ川)、下河津(小野)にある。
折合の「カワツサコ」、七里・小野川の「カワヅ谷」などは、河川上流域であり、船着き場とは思えず、蛙(かえる・かわず)の「カワツ」かもしれない。
【字】(あいうえお順)
池渕、石畑、井上、井ノ本、射場、大木場、大切、大窪、大柳窪、岡崎、岡屋敷山、上常光、川窪、京田、行佛山、桑ノ木才能、権根屋式、坂カ谷、櫻ノ基、笹畑、佐平屋式、佐平屋式山、地藏ノ前、常楽坊、新開、森目、杉ノ窪、赤ケ谷山、宗五郎屋式、高岡ノ鼻、竹添、田代、多四郎屋敷、田ノ川屋式、田ノ川屋式山、常林、常光、角右衛門屋式、天神宮前、トウロウデン、中瀬、中ダバ、仁井屋敷、野田、野田ノ窪、長谷山、東森目、皮岸田、平バイ、弁七、弁七屋式、法傳山、ミコ神、宮ノ奥、柳瀬ノ瀬、ユヅリバ谷、ヨケ添、吉田、鎧田、渡リ上リ【60】
(字一覧整理NO.順 西川角p24~25)
1岡崎、2多四郎屋敷、3関ノ本、4常楽坊、5仁井屋敷、6射場、7天神宮前、8中瀬、9平バイ、10杉ノ窪、11大切、12石畑、13宮ノ奥、14法傳山、15長谷山、16岡屋敷山、17池渕、18ゾウヅノ窪、19大柳窪、20ミコ神、21大窪、22ヨケ添、23治子、24行佛、25行佛山、26笹畑、27赤ケ谷山、28田ノ川屋式、29トウロウデン、30大見畑、31宗五郎屋式、32新開、33櫻ノ基、34吉田、35角右衛門屋式、36中ダバ、37常林、38柳瀬ノ瀬、39野田ノ窪、40権根屋式、41弁七屋式、42川窪、43井上、44桑ノ木才能、45地藏ノ前、46佐平屋式、47森目、48東森目、49竹添、50常光、51上常光、52(欠番)、53京田、54井ノ本、55ユヅリバ谷、56坂カ谷、57岩土谷、58花王、59皮岸田、60高岡ノ鼻、61鎧田、62渡リ上リ、63筧、66田ノ川屋式山、68佐平屋式山、69田代、70大木場、71野田、72木ノ下、73弁七、74田ノ川屋式(再掲)
※「3関ノ本、18ゾウヅノ窪、30大見畑、57岩土谷、58花王、63筧、」は字マスターにない。
【ホノギ】是ヨリ川津野之村
〇高岡郡仁井田郷地検帳 二(高岡郡下の2/検地日:天正16年2月20日)
▼是ヨリ川津野之村(p181~190)
野ヒラキ、芝ヒラキ、トウロウテン、新井ヤヤシキ、タンヒヤウエタ、西ノサイノヲ、サイノヲヤシキ、ウシロサイノヲ、松葉ヤシキ、ミコヤシキ、九日テン、ミシカカタ、ナカチヨウ、ヲンコクテン、フタセマチタ、シヤクヤタ、カウタ、堂ノ西、アカヽ谷、トウ子ンホウ、ムクラウシタ、サヽハタ、坂本タ、キヨウフツ谷、岡ヤシキ、チケンタ、今大神神主ヤシキ、チシハタケ、池ノフチ、龍王宮ノ東、宮ヲヲクウワキレ、龍王、天神ナロ、天神ノ前、杉ノクホ、ウツシリ、モウトハタケ、川ナリ、中瀬ヤシキ、鳥ノナロ、常楽寺ヤシキ、新屋ヤシキ、弓場、イウヱチ、エーケン、クホヤシキ、ウシロアウ、米ノ川タ、関ノモト、舞社テン、タシロヤシキ、スカサキ、ヲカサキ
▽是ヨリ谷川ヲ西路ヘ渡テ付(p190~191)
ミヤタヽ、井領田、ホウノ木ノモト、ツフセウチノ宮
▽是ヨリ跡ヘモトリエチヤフ谷ノセイモトヲ付(p191~)
エチヤフコクホ谷、石神ノムカイ、アリノ木ノ原、ニカキ谷、新カ井、ナウヽキ谷、コモテン、千鳥タ、中キレ、イシタロウ、シウマイタ、ミノコシ、ハタ谷クリ、井ノ本、樋ノ谷、ヒラソ
※「是ヨリ川ヲ東路ヘ渡テ付」として大川を渡り東川角へ検地は進む。
※「ササハタ」は、字「笹畑」と比定できるが、検地の流れでは「行佛」谷にある「笹畑」と小久保川辺りの「笹畑」の2か所にみられる。
【地検帳の寺社】
宝福寺、宝泉寺、常楽寺地蔵、
五社内今大神、五社内大宮、足摺観音、龍王、ハイタツ宮、五社内中宮、五社内聖宮
【通称地名】
【山名】
山名(よみ/標高:)
【峠】
峠(地区△地区) ※注記
【河川・渓流】
【瀬・渕】
【井堰】
【城址】
【屋号】
【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳
天神宮/66てんじんぐう/鎮座地:杉ノ窪
■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅰ」)
地検帳では”川津野之村”と表現しており、後の小松村・東川角村などの区分をたてていないし、本村・枝村のような姿もとっていない。しかし、東川角部落については”是ヨリ川ヲ東路ヘ渡テ付”としてその界境をしめしている。(同p205)
・神社
天神宮(村社/字杉ノ窪鎮座)
・寺院
法福寺(福円満寺の廃寺の後窪川町最大の寺)
常楽寺(法福寺の末寺)
■州郡志(1704-1711宝永年間:下p262)
西川角村の四至は、東限川西限山南限宮之内小川北限志和影山村縦二十三町横六町其土黒
山川は、長谷山
寺社は、法福寺、天神社とある。
■郷村帳(1743寛保3年)
寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高112.5石、戸数41戸、人口131人、男68人、女63人、馬24頭、牛0頭、猟銃0挺
■南路志(1813文化10年:③p)
117西川津村 仁井田郷本堂之内、又云本在家郷十二村之一也。今書、西川角村、 地百十一石四斗三舛三合
天満大自在天神 天神ナロ 正体幣 祭礼九月十日
八代龍王 龍王山 祭礼十一月十五日
座王権現 宮ノヲク 祭礼九月九日
大荒神 ワタヤシキ
長慶山法福寺 禅宗常賢寺末
本尊阿弥陀 往昔新井田七福寺の第一也
〇甲把瑞益五社傳記曰 (略)
■ゼンリン社(2013平成25年)
p34:西川角、県道松原窪川線
p35:西川角、県道松原窪川線、四万十川
p41:西川角、県道松原窪川線、四万十川、青木番城跡
■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)
西川角
※小久保川の表示位置が少しずれている。
■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)
西川角(四等三角点:標高368.64m/点名:にしかわかど)七里字楠堀ガ谷1733番地イ
■高知県河川調書(平成13年3月/「準用河川調書」p95)
小久保川(こくぼ/四万十川1次支川小久保川)
左岸:東川角字鳴岩799
右岸:東川角字鳴岩801 四万十川合流点
河川延長:1,500m / △Ak㎡ / △ Lkm
■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)
小久保川橋(小久保川/西川角字筧624)
■四万十町広報誌(平成26年6月号)