よくある地名の語源 「ひ」

ひうち(火打)【火打ヶ森(道徳)、火打岡(奈路)】

 三角形の形状を「火打」という。古代、発火材となる石等を入れる袋を火打袋という。木造家屋の土台や梁を固定する材を火打土台とか火打梁という。火打ヶ森は久礼側からみると尖がった三角形状で火打岡は三角形の農地である。両方とも中世以前の古名。さすがの命名法である。

ひがしまた(東又)【旧東又村】 

 東又の由来は、一条氏が仁井田庄を領地としていた中世のころ、当庄は、新在家郷、本在家郷、井細川郷、窪川郷、久礼郷、志和郷、神田郷、蹉跎分の八郷となっていた。一条氏はこれらを「番」と呼び、番頭を置いていたという(東又村誌)。このうち新在家郷は、「東番」と呼ばれた。仁井田庄のなかで東部に位置していたと思われる。甲把瑞益の仁井田郷談では「仁井田庄新在家郷十二カ村 土居村(新在家村)、平野村、黒石村、奈路村、弘見村(或は張木村という)、数家村、神野々村、八千数村、飯ノ川村、道徳村、本堂村、親ケ内村。是を古代新在家番といい(西原氏東氏代々相勤む)或は近代東番(ひがしまた)という。」とある。

 「又」は沢の支流、分岐した谷川の意味。井﨑の相後集落には、一ノ又、二ノ又、三ノ又とある。

ひがしみねやま(東峰山)【大正中津川/標高618.8m】

 

 

ひきち(引地)【引地(米奥)、引地山(七里・窪川中津川)、ヒキチ谷(道徳)、ヒキチ(平野)、ヒキチガ谷(下津井)、ヒキチ(久保川)、ヒキチ(十川)、ヒキチ・ヒキチ屋式・ヒキチ山(戸川)、ヒキチ口(地吉)】

 高知県で「引地」といえば、高知松山間の国道33号線の中間点「引地橋」。道の駅もない時代、数軒の茶店に立ち寄って名物のおでんを食べたものだ。

 引地地名は全国に分布するが地名語彙にみあたらない。地名用語辞典には「ヒキ」の説明として①動詞ヒク(引く)の連用形で「山裾などが引き連なった状態」②動詞ヒク(退く)の連用形で「海岸の陸地化したところ。河岸の氾濫原」③動詞ヒク(挽く)の連用形で「刻まれた地形。潰れた地形」という崩壊地名、とある。

 桂井和雄土佐民俗選集Ⅱ(p263)に「この地名の由来は、旧藩のころ、村役人のために、公役を免除した土地の称であった。」と土佐藩農業経済史を引用している。公用引地を「公役を免除した土地」と簡便に説明しているが、江戸時代の「割地制度」の説明が必要だ。

 江戸時代の割地制度は、村内の土地(田・畑・屋敷地・山林)を共有として、区画し、農民に割り当て、概ね20年が経過すると割り当てなおす土地利用制度。

 土佐藩農業経済史(p115)には「鬮地(くじち):本田割地の法である。十町以上の土地に適用された。土地の肥痩を平分して番号をつけ、抽籤によって耕作地を配分する方法で、年数は土地によって一定しない。」「引地(ひきち):公用引地ともいう。村役人扶助のために公役を課せざる土地。」とある。

この場合において、割地制度の対象から除外することを「引地」「引田」「抜地」など日本各地さまざまな呼び名となっている。土佐藩ではこれを「引地」と呼んでいた。除外地(引地)として、①ため池等の水利施設②神社や寺の土地③惣田(村の行事費用にあてるため惣民で耕作する田)④苗代⑤耕作不適地(陰地・横枕)などがある。

 四万十町の戸川地区にはヒキチ、ヒキチ山、ヒキチ屋式の字名がカイデ谷(稼出谷)にある。このヒキチ地名について『ふる里の地名(十和村教育委員会)』には「昔、部落出役管理するイ関があってこれを稼出関と言われ、谷を稼出谷と呼ばれている。関が出来て水田が出来る様になったために其の土地をうばいあったため引地の地名がついたと言われる。」と書かれている。百姓にとって水は命であり、その水利確保の井堰を惣民の出役で設え管理する村が土地を奪い合うというのは不自然である。桂井氏が指摘するように、井堰を管理運営する費用に充てるための引地、年貢や出役の免除地としての「ヒキチ」と理解したい。この戸川の井堰のあるところを「カイデ谷(稼出谷)」と呼んでいるが、高知でいう井堰「イデ」に「カワ(川)」を接頭語にして命名した「カワイデ」が転訛して「カイデ」となったのではないかと思える。 

 

ひのじ(日野地・日ノ地・日ノ路)【日野地山(日野地)、日の地(久保川)、日ノ地(大正)、日の地橋(上岡)】

 稲作など日当たりは大事な要件となる。多くは対となって地名がある。その対となるのがオンジ、陰地、影ノ地、影ノ平である。

ひのたに(日の谷)【家地川】

 

ひびのき(ヒビノ木・ヒビ)【桧尾(上秋丸)、ヒビノ木(金上野・地吉)、ヒビラ山(折合)、小日比原(小向・数神)】

 樹木名・イヌガヤノの方言名。高知県全域でヒビ又はヒビノ木と呼ばれる。いの町小川ではメガヤ(四国樹木名方言集)。

 イヌガヤは、縄文時代には弓に利用した。近代以前は果実から油を絞り灯明にした。常緑小高木の針葉樹。日本では、岩手県以南から鹿児島県屋久島まで分布。暖温帯上部の渓谷などに発達し、耐陰性が強い。

ひらた(平田)【作屋地区の集落】

 

ひろい(広井・広井小学校・広井大橋)【広瀬・井﨑】

 十和地域の広瀬地区と井﨑地区の合成地名。四万十川を挟んだ両岸の二つの地区。明治8年に大野小学校井崎分校として発足した小学校が昭和34年に校名を広井小学校と改称し現在の広瀬地区に移転新築した。平成24年廃校、現在「シマントシェアオフィス」となる。

(20170719現在)


ちめい

■語源


■四万十町の採取地

 

■四万十町外の採取地