20150608初
20161030胡
【沿革】
長宗我部地検帳では、「向川之村」。それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)、南路志(1813)には記録がない。
明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、高岡郡黒石村、志和峯村、飯ノ川村、弘見村、新在家村、平野村、道徳村、奈路村、数神村、向川村、藤ノ川村、 八千数村、与津地村、親ヶ内村、本堂村、小鶴津村、志和村、大鶴津村の18か村が合併し「東又村」が発足し、向川村は大字となった。
昭和30年(1955)1月5日、高岡郡東又村は、 窪川町・松葉川村・仁井田村・ 興津村と 合併し新設「窪川町」となった。
平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。
【地誌】
旧窪川町の中央部北東寄り。仁井田川と東又川の合流点東に開けた平地。三方を川に囲まれ、集落は平地南東部の山施と東又川沿いにある。岩谷神社がある。
(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央部、大きく蛇行する河川の内側が向川地区)
【地名の由来】
【字】(あいうえお順)
石神ノ本、一礼谷、岩谷、大関ノ上、岡屋敷、沖屋敷、川津口、クボタ、クボタソ子、栗木山、笹越、笹野越、上円、白ヒゲ、タツモト、仲屋敷、中山、畠ノ谷、早瀬、道連、山ノ下【21】
(字一覧整理NO.順 向川P122)
土地台帳の調査は、向川地区の東端となる東又川左岸から始まり、左岸河岸段丘の平坦地を下流に向けて進む。
1川津口、2山ノ下、3上円、4早瀬、5クボタソ子、6クボタ、7(欠番)、8タツモト、9岡屋敷、10沖屋敷、11仲屋敷、12道連、13大関ノ上、14白ヒゲ、15中山、16石神ノ本、17笹越、18栗木山、19畠ノ谷、20岩谷、21笹野越、22一礼谷
※
【ホノギ】(p268~269)
数家村の検地の後、向川之村のホノギ「クホタ(クボタ)」から始まる。仁井田川左岸のホノギ「ヲキヤシキ(沖屋敷)」から下流に向け「道蓮ヤシキ(道連)」、「シラヒケ(白ヒゲ)」と詰め、きびすを返し山手側を「中ヤシキ(仲屋敷)」から時計回りに「ヲカ(岡屋敷)」、「タツモト(タツモト)」と進み、「浄円作(上円)」で終える。
▼爰ヨリ向川之村(仁井田之郷地検帳三p268~269/検地日:天正16年12月6日?)
クホタ、シンカイ、ヒカシ、サイノヲ、ヲキヤシキ、道蓮ヤシキ、シラヒケ、ヲトナシノ宮、中ヤシキ、サイノヲ新カイ、ヲカ、タツモト
▼爰ヨリ阿津口之谷(p269~270)
東ヤシキ、浄円作、阿津口之谷、中山シラヒケ
【通称地名】
【山名】
岩谷山(いわたにやま/標高:311.3) ※4等三角点「向川」
【峠】
笹越(向川△藤ノ川) ※字名には「笹野越」
【河川・渓流】
【瀬・渕】
【井堰】
【ため池】(四万十町ため池台帳)
【屋号】
【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳
岩谷神社/70いわたにじんじゃ/鎮座地:岩谷
■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅱ」p490)
地検帳には向川之村と表現し、枝村をもたない単独の村として扱っている。
・神社
岩谷神社(村社/字岩谷山鎮座)/合祀:氷室天神社、竈戸神社
■州郡志(1704-1711宝永年間:下p289)
中野越村の四至の記述の後に、「向川」の文字のみ記載がある。
■郷村帳(1743寛保3年)
記録なし
■南路志(1813文化10年)
記録なし
■ゼンリン社(2013平成25年)
P49:向川、東又川、仁井田川、向川橋
P61:向川、仁井田川、富岡橋、岩谷神社
■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)
向川
■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)
向川(四等三角点:標高311.31m/点名:むかいがわ)向川字岩谷302番地
■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)
向川橋(東又川/向川字上園54-1) ※上園とあるが字名は「上円」
■四万十町広報誌(平成26年9月号)