20150608初
20161116胡
【沿革】
長宗我部地検帳に「若井川之村」とある。
それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)、南路志(1813)ともに「若井川村」とある。
明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、窪川郷上番の高岡郡窪川村・西原村・若井村・峯ノ上村・金上野村・見付村・大奈路村・根元原村・神ノ西村・大向村・高野村・根々崎村・若井川村、窪川郷下番の宮内村・仕出原村・大井野村・口神ノ川村・中神ノ川村・奥神ノ川村・檜生原村・寺野村・川口村・天ノ川村・秋丸村・野地村・家地川村、仁井田郷の東川角村・西川角村、これら28か村が合併し新設「窪川村」が発足し、若井川村は大字となった。
大正15年(1926)2月11日、窪川村は、町制を施行し「窪川町」となった。
昭和23年(1948)4月1日、幡多郡大正町の一部(折合)を編入した。
昭和30年(1955)1月5日、高岡郡窪川町、東又村、興津村、松葉川村、仁井田村が合併し新設「窪川町」となった。
平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。
地区内は、若井川1・若井川2・若井川3の3つの行政区にわかれており、若井川2のみ上班・下班の編成となっている。
【地誌】
旧窪川町の南端。四万十川の支流若井川中流の谷間の地域。南は幡多郡黒潮町に接し、集落は谷沿いの山麓に 点在する。地内は、神田(こうだ)集落、若井川集落、冬越集落からなる。平成23年に休校となった若井川小学校や河内神社がある。
(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央上段が若井川地区)
【地名の由来】
辻重憲氏は『史談くぼかわ・5号』で「若は、新しいと言うこと。井は、井流即ち、溝、井堰に通じる。新しい開発地のことであろう。」と述べている。
地名用語語源辞典に「わかい(若井・若猪)」について①ワカ・井(泉。川など)という地名か②正月行事のさいの若水を汲む井戸に関連する地名もある。
「ワカ」は、①動詞ワカル(分)の語幹で「分岐した所」、「分かれた地」などの意か②形容詞ワカイ(若)の語幹で「若々しい。新しい」意か。「みずみずしい」意で、「湿地」を示す用語か。あるいは「成長しつつある地形」をいうか。あるいは単なる瑞祥地名用語か③動詞ワカス(沸)の語幹で、「水が高く盛り上がった様子」④アガ(上)の転で「高所」(地名用語語源辞典)
新田開発は、水をどうやって治めるかが生命線となる。それは、土木の技術の高まりにより大きく変わってくる。初期の段階では谷川の近くに開発された小規模な水田も、堰構築技術、導水技術の進展により水の確保が可能となり広く大規模な水田へと進化してきた。
水を治めた先人の労苦と顕彰のため地名に刻むことは考えられる。「井」と方向地名の組み合わせでおおかたの位置が特定できることになる。「井」に因んだ地名は四万十町内でも多くある。
井堀・上ハ井(金上野)、古井(根元原)、井ノ上・井ノ本(東川角)、ウスツル井(宮内)、井ノ奥(寺野)、井ノ尻(七里・越行)、ツル井ノモト(七里・西影山)、井前(七里・本在家)、井領田(川ノ内)、井林(作屋)、井ノ口・仲井(米奥)、井ノ谷・井領・中井(窪川中津川)、上ハ井セキノ東(日野地)、井ノ上・井ノダバ・鶴井谷(上秋丸)、小戸井ノ本・ツルイノクボ(市生原)、井詰メ(影野)、井ノ上・上井ノシリ・両井ノ本(魚ノ川)、井ノ上(六反地)、井口才能(富岡)、井口・井ノ脇(黒石)、井ノ谷・川井田・切井(与津地)、井ノ川(藤ノ川)、井口・イルメキ(数神)、井出ノ奥(道徳)、井ノ下・吉井開山・吉井セキノ本・井ノ川下沢・井ノ川ナメラ(平野)、中井(飯ノ川)、井ノ本(志和峰)、小井出の谷(大正)、井ノ谷(上岡)、井ノ谷・井ノダバ(打井川)、ツルイノ谷(大正北ノ川)、井出ノ岡・イデノ谷(烏手)、井出ノ谷・ツルイ谷(相去)、柳ノツルイ(江師)、井ノ谷・琴井ノサコ(大正大奈路)、井出ヶ谷・ツルイノ本(大正中津川)、井ノ駄場(木屋ヶ内)、クボツルイ(下道)、上ミ井デ(下津井)、井ノ上(里川)、井ノ神(津賀)、井ノ上・ツルイノ奥(昭和)、井出谷口(大井川)、ツルイ本(河内)、井出ノ上(久保川)、石井・井ノヲク(十川)、井手ノセキ・奥釣井(地吉)、井グチ・井津ガ谷・トイノモト(十和川口)、ツルイ畑(広瀬)
農業用水以上に大切なのが生活用水である。このことについて下村效氏が土佐史談194号『長宗我部地検帳のツルイ』で詳しく述べられている。
「地検帳で中世・近世の村落を分析しようとすれば、まず、その景観の復元作業が必須となるが、そのためにはこの”ツルイ”とは一体、どのようなものであるかを見極めなくてはならない。(中略)ツルイは井の原初的形態」
として、ツルイを三類型に整理している。
▽第一型 谷のツルイ
小渓の淀みに石などで足場を構え、上部を水汲み場、下部を洗い場とする、最も素朴な水場
▽第二型 山清水のツルイ
崖の際に湧出する泉を石で囲った水場
▽第三型 泉井戸のツルイ
崖から少し離れたところに石で囲んだ井筒がある。
▽第四型 派生型
掛樋で簡便に導水し、水槽・水瓶の設えをする
つまり、①小渓流に近く②ツルイの水位は低く、深い竪井戸(釣瓶井戸)ではない③個々の屋敷外にあり共同井として利用の3点が当時のツルイである。
【字】(あいうえお順)
荒谷新山、石神谷、石神ノ前、石神谷山、石ノ元、イナ井カ谷山、猪内ケ谷、入ボシ山、イヲセ、梅木谷山、エルボヲシ、大シク、大ジク山、大田、大宮ノ川、大本山、岡屋敷、沖ノ向、カギ山、格生田、陰ノ地、影平、上ソリ田、川原田、木樵田、キレイ、口目ノ川、口目ノ川山、窪田、栗木カイチ、小越、小越山、子コダ、五反地、小宮ノ川、下タ神田、下沢、庄次谷、庄次谷山、神田、神田山、橘谷、立花谷山、堂ヶ谷山、堂ノ谷山、堂免、虎杖谷、鳥越、鳥越山、中串、仲スカ、流田、ナキノ川、奈路、錦ノ川、錦ノ川山、西谷、西ノ前、汢ノ川、萩ノ本、東田、東谷、彦四郎、彦四郎山、ビシャゴ、冬越、冬越山、宮ノ川、モチダ、モチタ山、柳ケ谷山、ヤフシ田山、山之前、ヲサゴ【74】
(字一覧整理NO.順 若井川p9~10)
1錦ノ川、2神田、3下タ神田、4川原田、5木樵田、6子コダ、7エルボヲシ、8中串、9格生田、10陰ノ地、11モチダ、12猪内ケ谷、13堂免、14大田、15カギ山、16ナキノ川、17庄次谷、18東田、19沖ノ向、20西ノ前、21下沢、22小越、23奈路、24五反地、25石神谷、26口目ノ川、27山之前、28仲スカ、29石ノ元、30大シク、31彦四郎、32橘谷、33冬越、34萩ノ本、35鳥越、36ビシャゴ、37小宮ノ川、38ヲサゴ、39大宮ノ川、40流田、41岡屋敷、42東谷、43西谷、44栗木カイチ、45影平、46窪田、47虎杖谷、48大田(再掲)、49石神ノ前、50上ソリ田、51イヲセ、52キレイ、53宮ノ川、54鳥越山、55堂ノ谷山、56ヤフシ田山、57庄次谷山、58イナ井カ谷山、59荒谷新山、60モチタ山、61入ボシ山、62柳ケ谷山、63錦ノ川山、64神田山、65(欠番)、66小越山、67(欠番)、68石神谷山、69口目ノ川山、70大本山、71彦四郎山、72立花谷山、73~83(欠番)、84梅木谷山、85汢ノ川、86新田
※字マスターの「堂ヶ谷山、冬越山」
※「29石ノ元」は字マスター、字一覧ともに「いしのもと」と読んでいる。
※字一覧の「84梅木谷山、86新田」は字マスターにない
【ホノギ】若井川村(p485~497)
〇仁井田之郷地検帳 五(高岡郡下の2/検地日:天正17年3月4日)
▼若井川之村(p485~486)
アラ谷、ウルシハラ、仏師ヤシキ、ホキノ下谷、地蔵堂ヤシキ、ヲカモト、寺中タ、畠タ、ミチノ地、ハタケタ、ヲトコセタ、シヤカタ、アカハケ、柳ノ谷
▼山ヲ東江コシテ付(p486~487)
ツエノ谷、スケノ谷、ヒハノ木ノクホ、クイセ木ノ谷、カケノ地、山ノ谷、ヲトナシ、ユノキサコ、イ子ホシハ、ヲカヤシキ、ヲカノマエ、ヲウエヤシキ、中沢、中スカ、サコ畠、エルホウシ
(3月6日/p487~488)
女子フン、ホウテンノ谷、中沢道、ウワエホシ、平四良、子コタ、シモコウタ、中コウタ、カミコウタ、宮ノ後、治部次良タ、フルヤ、ホウテンノマ
▼嶺ノ上堺(p488~490)
木コリテン、ホソヲサ、トウノコエ、錦ノ川、善介地、大苗代、ツハメイシリ、中沢、シホリノモト、クロノモト、コウタ、タハ、下谷タ、柳ノ沢、清水ノコエ、セキノモト、河原タ、ホキノ下
〇仁井田之郷地検帳 五(高岡郡下の2/検地日:天正17年3月7日)
▼若井川之村(p491~492)
ミソツチ子、石神ノマヘ、ワタリアカリ、中スカ、カミ大タ、ウワ大タ、中大タ、下大タ、柿ノ木ノモト、キクノモト、桑木ノクホ、井ノモト、山ノ下、栗ノキノ中ウ子、カケヤマ、ソリタ、中沢、クホノソヘ、カキノ木ノソ子、宮ノ川タ、川クホ
▼同村爰ヨリ又アナ谷ノ坂モトヨリ付(p492~496)
アナ谷、イナイノ谷、リシユフンテン、子キタ、イチセンタ、堂免、長福寺寺中、ハシノクホ、藤兵衛タ、井ノモト、ハハキテン大新神田、小新神田、丸タ、クホノ川、ナキノ川、ヨウシ谷、永サコ、ウシノ沢谷、梅ノ木ノソ子、ヲクヤシキ、東ツシ、岡本畠、小川口、ヒロハタケ、中ヤシキ、西ヤシキ、ニイヤ、馬力ヤシキ、ヲキ畠、ヲキノソ子、子コレ、カトワキ、ツル井ノモト、中ウ子ヤシキ、サテノスソ、チウクカイチ、タカノコエ、中沢、ホキ道、下沢、井ノ上、鳥コエ
▼同村之内奈路石神谷(p496~496)
石神谷、スケタ、サイノヲ、ヒウラ谷、梅ノ木ノモト、ムカイ、奈路、カチハラ、ナカレタ、ココヘ、亀カ瀬、牛ノ沢、老僧タ、ヤマノマエ
▼高野之内大宿之村(p483~485)
ナカレタ、ハイノ本、ウシロタ、永山、ツエノスソ、エホシハイ、山ノ子、神田溝、カキノ内、彦次良タ、シモタフチ、仏供田、蛇ノ谷、石神ノマエ、石ウチ、カミタフチ、立石、タチハナ谷、柳カ本、松原、フキコシ、ミヤウヨウタ、馬ハイ、石神谷ウ子
※「大宿之村」のホノギの多くは若井川地区内に比定されるので、「大字若井川」にも重複して記載する。
※ホノギ「フキコシ」は、字名・通称地名として「冬越」で残っている。
【通称地名】
冬越
【山名】
【峠】
冬越
小越
高野越
【河川・渓流】
若井川(河川調書)
ナギノ川(橋梁台帳)
【瀬・渕】
【井堰】
【ため池】(四万十町ため池台帳)
【城址】
【屋号】
【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳
河内神社/75かわうちじんじゃ/鎮座地:木樵田 ※ゼンリン社地図による
■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅰ」
この部落は、若井川之村と記され、枝村をもたない単独の村であった。検地は高野部落に引き続いて行われ、天正17年3月5日から8日までの4日間にわたって行われている。(同p82)
・神社
河内神社(村社/字神田山鎮座)
・寺院
長福寺(今の永昌寺。福円満寺の七福寺の一つ)
■州郡志(1704-1711宝永年間:下p265。「若井村」は「若井川村」の誤植か)
若井川村の四至は、東限大路野山西限若井村南限片坂北限荒谷山縦二町横五町其土黒交砂
山川は、宮之川山、荒谷山、砥石之川山
寺社は、長福寺、観音堂、川内大明神社
土産は、茶とある。
※刊本「土佐州郡志下p265」に「若井村」として四至等を記しているが、若井村は同p280にも「若井村」として記されている。
■郷村帳(1743寛保3年)
寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高274.877石、戸数38戸、人口146人、男80人、女66人、馬39頭、牛0頭、猟銃1挺
■南路志(1813文化10年:③p298)
154若井川村 仁井田郷本堂之内、又云窪川郷十三村之一也。 地二百八十一石六斗五舛
川内大明神・氷室大明神 相殿 神林 正体木形 祭礼九月・霜月廿日
安喜山永昌寺 禅宗久礼村常賢寺末
本尊薬師、舊號長福寺、徃昔仁井田郷七福寺之一也。 (以下省略)
■ゼンリン社(2013平成25年)
p99:若井川、若井川、若井川橋、河内神社
p103:若井川、冬越、若井川、下嶋橋
p104:若井川
■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)
若井川、神田(こうだ)、冬越、若井川
■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)
若井川(四等三角点:標高376.54m/点名:わかいがわ)黒潮町市野瀬字イヅノヲク949-11番地
若井山(四等三角点:標高297.93m/点名:わかいやま)若井川字堂ヶ谷山1176-1番地
押川(三等三角点:標高443.47m/点名:おしかわ)若井川字庄次谷1196-19番地
神田(四等三角点:標高375.16m/点名:こうだ)若井川字柳ヶ谷山1219-46番地
■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)
▼その他の橋
若井川橋(ゼンリン社地図)
下嶋橋(ゼンリン社地図) ※下嶋という字名はない。
■四万十町広報誌(平成21年1月号・令和2年6月号)