20170114胡
▼JAF Mateが変わったよ
詩画家の星野富弘さん。ありがとう
書家の華雪さん。コンニチは
JAFの会員月刊誌「ジャフメイト」を読む楽しみは、巻頭言にある花の詩画。128回の最終回ではぺんぺん草の画に「神様がたった一度だけこの腕を動かして下さるとしたら母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたらそんな日が本当に来るような気がした」とあった。
24歳で首から下の運動機能を失った富弘さんも今は70歳、お母さんは95歳とか。風に揺れるペンペン草は確かにかあさんの肩、叩いてるよ。長い間楽しませてくれてありがとう。
新しく連載される華雪さん。毎号の甲骨文字の漢字一字の書をじっと眺める。あら不思議、華雪ワールドが広がってくる。そこでヒントを得たのが、この企画である。口語の読みで伝世された地名も違った同音の嘉字を充てられることで地名研究では嫌われモノの「漢字」ですが、あえてチャレンジしてみることにした。
土佐日記風にいうなら「華雪もすなる甲骨文字というものをおいらもしてみるとてするなり」である。
JAF Mate 2016年11月号の初回のお題は「車」。さすがJAFに配慮した華雪さん。
編集子は 「樋」としよう。
毎月、一つのお題を「地名のお話」サイトで届けることを「ほぼ月間のお約束」としたい。
▼今月は「樋」
お米を統治する国、その源には田を耕す人がいる。その耕す人が基とするのが土と水で、水の確保が新田開発の橋頭堡となり、その導水に使うのが「樋」である。字統で調べたら国字ということで甲骨文字はない。さすが「木の国」、日本で作られた漢字には木偏や魚偏の漢字(和字?)が多い。「峠」も「畑」も「匂」も「杜」も「辻」もそうだ。編集子の好きな和字でもある。
「樋」を選んだのは楠瀬慶太氏の『新・韮生槇山風土記(http://hdl.handle.net/2324/1516062)』による。
大学では服部英雄教室で歴史学を学んだ楠瀬氏は、高知県物部川上流域を対象に長宗我部地検帳のホノギ(当時の微細地名)から近世初期の村落景観と生業を復元している。そのなかで谷の水を民の知恵がどうやってコントロールしてきたかを集落の「井」などのホノギからあぶり出す、それも120人の村民の聞き取りするという楠瀬氏のフィールドワーク。それにヒントを得たのが「樋」である。
生活の用水や田の掛水に必要な水は近くの谷川から引き込んで利用した。それが「井(ユ・イ)」でありその構造物となるのが「樋(ヒ)」である。「樋(ヒ)」は、自然の流水では導入できない場合に用水を引き込むために取り付けた木や竹ど設えた筒や半円管などの装置で、屋根に流れる雨水を集めて地上に排水する装置の場合の「樋(トイ)/戸樋」と区分する。筒状の「樋」は「筧(カケイ・カケヒ)」と呼ばれる。また、井関の水の出口に設けた戸も「樋(ヒ)」という。いわゆる雨どいが普及されたのは江戸中期以降といわれることから、長宗我部地検帳に記録されるホノギ「樋ノ口」、「樋ノ谷」、「樋ノ本」、「高樋ノナロ」は用水を引き込むための装置としての「樋(ヒ)」となる。
長宗我部地検帳時代の「樋ノ口」等の四万十町内の分布、その後の土地台帳における「樋ノ口」等の関連性等を調べてみたい。
▼長宗我部地検帳の「樋ノ口」等
長宗我部地検帳には「樋ノ口」、「樋ノ谷」、「樋ノ本」等が見えけられる。四万十町内全域に分布するが、上山郷分には「樋(ヒ)」のホノギはない。用水は樋の技術を利用するまでもなく自然流下を利用する「井(イ・ヰ)」で賄えたのでなかろうか。
「樋ノ口」:高野、金上野、西川角、宮内、南川口、秋丸、家地川、七里(本在家)、七里(柳瀬)、七里(志和分)、作屋、窪川中津川、床鍋、平串、奈路、小鶴津、小野、戸川、古城
「樋ノ谷」:峰ノ上、見付、口神ノ川、東川角、西川角
「樋ノ本」:見付、秋丸
ちなみに「井」のホノギは次のとおりである。
「ツヰクチ・ツイクチ」:南川口、家地川、桧生原、折合、中村、本堂
「ツルイ」関連:高野、若井川、宮内、口神ノ川、天ノ川、南川口、中村、七里(西影山)、七里(本在家)、七里(小野川)、市生原、興津、上宮、弘瀬、西ノ川、下道
▼土地台帳の「樋ノ口」等
土地台帳にみられる「樋」関連の字は次のとおりである。
「樋ノ口」:高野、七里(柳瀬)、窪川中津川、平串、芳川、小野、大道、戸川
「樋ノ谷」:平串、昭和
ホノギから比定される字もあるだろうが、四万十町の頭首工台帳をもとに、現地踏査を踏まえて微細地名の位置を特定しそれらの分布等について、別枠で再度詳細報告したい。