Vol.18:神の歳時記 「神田」のいろいろ

20170101胡

  

▼米のチカラ

 「主税」と書いて「チカラ」と読むことを知ったのはNHK大河ドラマ「赤穂浪士」の大石主税であった。どうしてチカラなのか。

 その昔、国の財政を司る職が主税寮(しゅぜいりょう/ちからのつかさ)で、民の力によって生産され納められた「田祖」に由来するという。

 古来より「米は生活のシンボル」と言ったのは柳田邦男である。米は、国家統治の根幹ではあるが、生産者となる民の日常の食料エネルギーではなかったようだ。

 

 柳田邦男は「常の日は麦なり、他の雑穀なり、又何なりともある物を食べておることが多かったと思われます。お宮の祭りの日に米を食わなければならぬ、或は盆、正月には食わなければならぬ、という心持ちで、米をほかの食物よりも一段高い価値づけをしていたのではないか。(稲と水)」と日本人の米と信仰的結びつきを述べている。

  

▼コメは神と共食

 坪井洋文氏は「米は常に祀られる側に供されることによって、その神力が再生し活動を開始するのであり、その霊力を祀る側に分与されること、つまり共食の論理によって人々が新生する。米は常食することを目的に作られるのではなく、特定の手続きを経て、米にひそんでいる霊的活力を人間が獲得して再生するために必要とされたのであり、それを食べる機会こそがハレの日であった。」と述べている。(日本民俗文化大系②太陽と月「日本人の再生観」p395)

 古来より、日常は辛い山や畑や田んぼでの仕事。神の前に同化する日こそハレであり、非日常の米を食することができる。心地よい休息と腹いっぱいの飽食。神の前では天下御免で、いろんな神事を米の成長の段階に合わせて月々の祈りをおこなったのだろう。週休二日でない「月一日の休養日」。それが、正月の若水迎えから田打ち正月の儀式から霜月の収穫祭(新嘗祭)と種籾の聖別儀式など折々の神事となってきたのだろう。

 

 

 編集子の母は、めでたい日に餅をつき、ぼた餅をまるめ、押し寿司をつくった。ここという時に米の力を借りずにはおれないのが日本人なのだろう。 

 四万十町下道地区の産土神である春日神社の当屋祭りに「飯喰い祭」の奇祭がある。30年前まで行われていた儀式で、お椀に山盛りとなった米を全部ほうばなければならない。飽食することが豊作の神への感謝であるという。(大正町誌p520)

 

 米は神祭などハレの日にしか食べることができないものである。その神事を賄うためにあてがった田が「神田」である。その形は多様でその数は多い。

 

▼忘れ去られた神田 ムラ社会崩壊への通過儀礼

 今では「休耕田」という、神に反逆する政策がとられている。農業機械の普及によって共同の結いの廃りとなり野良での共食もなくなってきた。土地から豊かさをいただくのではなく、いかに肥料を施し、生産性を上げどのように加工をして貨幣経済の中で勝ち残るか。その過程では賢く補助金や交付金を利用していくか。もはや投資と収奪と競争の三次産業化した「農」となった。

 神から離れた田は、ムラ社会が崩壊する通過儀礼なのだろう。 

 

 

▼宮内は田んぼのデパート

 この「神田」の地名から当時の暮らしを読みとってみたい。 まず第1弾として関連地名を集めてみた。

 四万十町で特に多くみられるのが五社さんが鎮座する宮内地区である。

 地内の字は157数えられるが、とりあえずその中から字の末に「田」、「タ」、「テン」となる字を拾い上げてみた。その数は25の字があり、まさに田んぼのデパートである。

①神社・寺院の運営に関わると思われる字【13】

正月田、五月田、七月田、彼岸田、七日田、九日田、四時田、燈明田、祝い田、神道田、説得田、馬附田、神楽田

②耕作者、所有者に関わると思われる字【6】

又三郎田、屋敷田、今大神田、大宮田、白皇神主田、日ノ宮田

③田の形状に関わると思われる字、その他【6】

一貫田、数生田、上ミ丸田、才能田、頼ム田、宮多田

 

 また、今から450年前の長宗我部地検帳のホノギ(当時の農地、宅地の地名)) には

 修正テン、神原テン、若松タ、札弊テン、トウホンタ、ヲキタ白王神主田、名本田、七日日田、フシヤテン、ヨテン、神願タ、フマテン、イハイテン、七日テン、ヒカンテン、ツコモテン、霜月テン、正月テン、クモテン、小大夫タ、コマタ、シヤコウタ、野タ、ソカテン、五月テン聖宮、ヨテン、今大神テン、島タ、柿ノ木タ、惣衛門タ、又三良タ、道善タ、サカタ、シヤウキンタ、ウシロタ、次良衛門タ、キヤウテン、七日ヒテン、跡母タ、ヌイハリテン、三反タ、一貫タ、次良衛門タ、西原タ、大田、コシキカテン、チヤウハンタ、ミソタ、ミョウシヤウタ、五良タ、カラスタ、大宮タ、道法タ、セツトクテン、トウミヤウテン、ヲハシヤウテン、サコタ、ヲイヤタ、的場タ、丸タ、平兵衛タ、藤六タ、孫六タ、ウナカシテン、メクラタ、サカミタ、タノムテン、在京タ、ヲンコクテン、坊主タ、カミ丸タ、ミコタ、右近兵衛タ、ヲトタ、永タ、ホリタ、馬アライテン、コモテン

の84箇所、拾うことができる。

(所有や耕作を示す田や位置や形状を表している田もある。)

 「神田」とは神仏の行事に当てる米を作る田であり、耕作は村人(当屋)の共同作業となり、収穫にあたっての年貢は免除されることになる。神社の給地ではないので神主の収入ではなく、神事の賄い用である。

 

 地名は歴史の生き証人、暮らしを語る語り部であり、モノではない文化財でもある。

 「神の歳時記 神田いろいろ田」の第2弾は、宮内地区の神田の名称の由来を調べ、続いて四万十町全域を、その後高知県内を調べその分布を見ることにする。