暮らしを刻む

 山の暮らしは、長い歳月で山を培う開拓者であるとともに、山を畑としてその実りを頂戴し加工して山道をたどって売り歩く1年サイクルの総合商社員であり、山の中で必要なものを自らがやりとげる技を磨き合う職人集団でなりたっている。


Vol.05:「イチ」の付く地名の謎 

 高知県出身の民俗研究者、筒井功氏の著書『日本の地名』では「イチ(漢字は、ほとんどが市か一)の付く地名は各地におびただしくある。小地名まで含めたら、その数はおそらく万単位に達するだろう。なぜ、こんない多いかが、まず謎である。イチの語はおそらく「神をあがめる」の意の「斎(いつ)く」のイツと語源を同じくしているのではないか。

   →詳しくは VOL.05:イチ地名の謎

Vol.04:暮らしの水と川

 川の解説を『古くは「ヰ」が「川」を意味したのに対し、「カハ」は日本の各地で「井戸・掘・池」を表す用語として使われてきた。これはヰとカハの意味内容が転換したわけではなく、我々の祖先にとっては「水そのもの」が重要であって、河流を源流から河口部まで一本の流れとして認識する必要はなかったのではないか。』と述べている。

   →詳しくは、Vo.04 暮らしのカワ

Vol.03:中津川か中津川川か

 芳川は芳川川、希ノ川(四手ノ川)は四手の川川、窪川中津川は中津川川とある。大正中津川に流れる河川の公称は「渡川水系2次支川中津川」となっている。    →詳しくはVol.03 中津川川

Vol.02:中津川の地名考

 山の暮らしは、長い歳月で山を培う開拓者であるとともに、山を畑としてその実りを頂戴し加工して山道を縫って売り歩く1年サイクルの総合商社員であり、山の中で必要なものを自らがやりとげる技を磨き合う職人集団でなりたっている。

中津川は、山が育んだ地名ではないか。  →詳しくは、Vol.02:中津川地名考

Vol.01:地名に学ぶ 大正中津川地名辞典の序論

 中津川の検地は下津井の「ソウカイ」「イノヽ」「舟ノセ」から足川川沿いに松原往還を越え森が内分れから森河内村に入り中津河村を終えて三月廿四日に下道村へと移っている。当時の田畑宅地を固有する地名はホノギとよばれ、現在の公称地名の字にあたるものであるが、慶長時代に使用されていた地名が現在も使われている。  →詳しくは、Vol.01:地名に学ぶ

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