2016年3月5日、安田町「集落活動センターなかやま」で開催されたシンポジウムの記録
旧大正村にあった軌道のうち、もっとも古いものは、大正14年から大奈路から成川山国有林に敷設された中津川林道である。昭和11年末には総延長11,440mとなったが、昭和12年に木屋ヶ内から成川山国有林間が牛馬道に組み替えられ、大奈路字柳瀬から木屋ヶ内ハシカ谷間3,219mのみ軌道が残った。
大正林道は、昭和6年に着工され、昭和9年までに大字田野々を起点に16,429m軌道が敷設された。昭和14年に5,133m延伸した軌道は、佐川山線となり、昭和29年までに3,131m延伸したが、昭和31年からは牛馬道への組み替えがはじまった。
坂島線は昭和10年に着工し、昭和12年までに5,833m軌道が敷設された。昭和17年から延伸され、昭和21年までに総延長は9,895mとなった。
歯朶尾山線は、歯朶尾山、赤良木山などに延びる線で、総延長は2,592m。
下津井にあった佐川事業所には、共同の炊事場、大浴場などが完備され、最盛期には約60世帯、200人以上のひとがいた。この事業所と下津井貯木作業場間4,100mが、高知県で最後まで残った森林軌道である。昭和42年3月25日に終山式が行われ、機関士がディーゼルカーに酒をかけるセレモニーを最後に軌道も姿を消した。
昭和15年から伐採がはじまった佐川山国有林は、モミ、ツガの天然林だったが、スギ、ヒノキが植林された。
払川と檮原川の接するところにかかる下津井のめがね橋は、鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋で、昭和14年に完成した。建設には朝鮮半島から労働者も来て、原木やかずらを縄で縛って組んだ粗末な足場で作業をしていたという。現在でも地域のシンボルとして親しまれている。
【大正林道のパネルから引用】