33.021978,132.982163
畑野(不明/校注土佐一覧記p308)
古歌
「みぞれ降る板間吹く風寒き夜は 畑野に今宵我ひとり寝ん」
「菫咲く畑野の原の夕雲雀 なれもゆかりの草に臥すらし」
▽畑野
現在、畑野の地名はない。御坊畑か。
(山本武雄著『校注土佐一覧記』p308)
万葉集の旗野
この古歌は万葉集(2338)『霰ふり いたく風吹き 寒き夜や 旗野に今夜(こよひ) わが独り寝む 』。勝手読みは「あられとともに強い風が吹いている今夜もひざっ小僧かかえて一人寝か」。旗野は奈良明日香村に波多神社がありここではないかという説がある。秦氏の関連地名はここ高知県の幡多郡とともに全国に分布する。
畑野庄
高知県史跡有井庄司の墓の説明版に、尊良親王の遠流の地として「土佐畑の庄にお着きになった」とある。与惣太も尊良親王の関連地を旅することになり、当時「畑の庄」と呼ばれていたことから「畑野」と記録したのではないか。「幡多荘」は建長2年(1250)、九条道家より四男の一条実経に伝領され、以後一条家領となったもの。幡多荘の領域は幡多郡のほぼ全域に加え高岡郡の仁井田庄も含まれていた。
与惣太がこの古歌を引用していることから、ここは「御坊畑」というより「幡多」「波多」と読みたい。