20150422初
20170224胡
【沿革】
長宗我部地検帳には、「北川」、「ヒルハシ村」、「東また村」が喜多川村の枝村として相去村の領域が示されている。
それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)、南路志(1813)ともに「相去村」とある。
明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、幡多郡田野々村、北野川村、烏手村、相佐礼村、弘瀬村、折合村、市ノ又村、上宮村、芳ノ川村、打井川村、上岡村、下岡村、瀬里村、四手ノ川村、西ノ川村、中津川村、大奈路村、下津井村、江師村、下道村、木屋ヶ内村、小石村の22か村が合併し「東上山村」が発足し、相佐礼村は大字相去となった。
大正3年(1914)1月1日、幡多郡東上山村は、 村名を改称し「大正村」となった。
昭和22年(1947)8月1日、幡多郡大正村は、町制を施行し「大正町」となった。
平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。
【地誌】
旧大正町の東部。東は窪川地域、南は烏手、市ノ又、西は芳川に接する。三方を標高600m級の稜線に囲まれ、大部分が山地。集落の中央で、東谷と西谷が合流、相去川(渡川水系第1支川)となり南に流れ、相去川に沿い町道が通じている。流域の平地と水田、山麓に畑が展開する。地内に相去国有林160haがあり、集落の中央に河内神社、集会所がある。
(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央が相去地区)
【地名の由来】
【字】(あいうえお順)
アカヤブ、アラ谷、アラタ山、石神名路、イヅガ谷口、イツノ谷山、井手ノ谷、上松尾、ウ子シタ、梅ノモト、ウルシ原、ウルシ山、ウワダレ、ウワダン、大畝本、大ダバ、大平山、大本谷山、大本ナロ、奥屋山、カカヤブ、カキノキサコ、カクレサコ、カシギレ、カタキ山、上札場山、北大野、栗ノ木山、黒岩、黒見山、幸田久保、小森山、サカイノ畝、櫻山、シダ尾谷山、清水、シモギレ、シモ子ナロ、庄次ケ谷、新田、シンナイズ、水田、水木山、杉ノ谷、スダノ畝、セイモト山、瀬ノ上エ、タカノ、タキ山、タシロ、タシロバタ、谷口、谷ヤシキ、ダバノ畝、椿木山、ツルイ谷、ツルイノ谷、定ノ本、藤内山、轟ノサコ、トドロ山、トノナロ、中谷山、ナカナロ、ナカマ、奈賀間山、ナシリ山、西谷山、西トント、バショ山、ハナマイ、東畝山、東黒岩、東新田、東ドンド、東マキ谷、ヒノキナロ、ヒノ木ノモト、フカサコ山、フタコ山、札場山、フルトノ、ホクリサコ、ホノ木谷山、ホリキリ、本田、マキ谷山、松畝山、松尾山、松ノ畝山、松ノ木谷、道岡山、南大野、宮ノ瀬、明畑山、モチリキ、モモノ畝、桃ノ木山、森田、ヤシキ山、山神ノ前、ユルタニ山、横道、ヲクヤシキ、ヲフヤ、ヲンヂ【106】
※「ウワダレ」とあるが「ウワダン(上段)」の誤謬。集成図も「ウワダレ(86~115)」とある。
(土地台帳・切絵図番順)
※土地台帳の調査は、相去地区の南、烏手地区の境となる相去川右岸から相去集落の中心部にむかい、そこから西谷右岸を源流域である国有林・源太夫串山まで進み、西谷左岸に渡り相去集落の中心部に至る。次に東谷の右岸を桧生原境となる稜線まで上り、折り返して東谷右岸を下り、相去川の左岸を烏手地区境まで至る。
1アカヤブ、2櫻山、3栗ノ木山、4定ノ本、5イヅガ谷口、6イツノ谷山、7セイモト山、8フルトノ、9トノナロ、10藤内山、11宮ノ瀬、12ナカマ、13本田、14ウワダン、15奈賀間山、16ホノ木谷山、17井手ノ谷、18ホリキリ、19谷ヤシキ、20西トント、21大畝本、22小森山、23幸田久保、24ユルタニ山、25ツルイノ谷、26瀬ノ上エ、27ヲンヂ、28黒見山、29奥屋敷山、30明畑山、34中谷山、35ナシリ山、36シダ尾谷山、37シモ子ナロ、38新田、39水木山、40梅ノモト、41シンナイズ、42東新田、43東ドンド、44石神名路、45マキ谷山、46東マキ谷、47清水、48山神ノ前、49フカサコ山、50ナカナロ、51ハナマイ、52タカノ、53タシロ、54桃ノ木山、55モチリキ、56ホクリサコ、57トドロ山、58西谷山、59シモギレ、60カシギレ、61大本谷山、62大本ナロ、63札場山、64上札場山、65カキノキサコ、66大平山、67カタキ山、68椿木山、69カクレサコ、70セイモト山、71水田、72アラ谷、73ヤシキ山、74バショ山、75モモノ畝、76フタコ山、77北大野、78南大野、79ウ子シタ、80大ダバ、81森田、82轟ノサコ、83黒岩、84東黒岩、85タシロバタ、86タキ山、87ウルシ山、88ウルシ原、89松尾山、90上松尾、91松ノ木谷、92松ノ畝山、93谷口、94庄次ケ谷、95ヒノ木ノモト、96ヒノキナロ、97道岡山、9899アラタ山、100杉ノ谷、101東畝山、102ヲフヤ、103横道、104スダノ畝、105サカイノ畝、106ダバノ畝
※切絵図に「31源太夫串」、「32常泉畑」「搬尾山」は記録されているが、国有林であるためか現在字名はない。
※切絵図に16番と17番が「ホノキ谷山」となっているが、17番は「井出ノ谷」の誤記載
※相去地内に「セイモト山」の字が二か所ある。一ヶ所は相去集落の中心地、河内神社の南西側山手の山林。二カ所目は東谷の奥、桧生原境の山林
※切絵図に「72カラ谷」とあるが「アラ谷」の誤記載
※相去川の相去地区最南端の右岸に「カカヤブ」と「アカヤブ」とあるが、正しくは不明。
※固定資産税の字マスターに記録する「ウワダレ、カカヤブ、ツルイ谷、松畝山、ヲクヤシキ」の字名が不明
【ホノギ】北川ヒルハシ村・東また村/喜多川村の枝村
▼北川ヒルハシ村(土佐国幡多郡上山郷御地検帳:幡多郡上の1p25/検地:慶長2年2月3日)
桧本、中の、ヒトセマチタ、イツノ谷、フルトノ、南クホ、中スカ、宮ノ本、松の尾、山根、タシロ、カト、大蔵庵寺中、カトタ、宮ノ後、東ヤシキ、ハテヤシキ、ナカマ、タンヤシキ、サカリ、針ノ原、ソコタ、石神ノナロ、馬木ノ谷、トウタウ、甚内寸、神田ノクホ、ヲンマタ、山の根、ヲンチ、タカアセ、イル谷クチ、セイモト、ひかしまた、西谷、西上
【通称地名】
【山名】
【河川・渓流】
【瀬・渕】
【井堰】
【ため池】(四万十町ため池台帳)
【城址】
【屋号】
【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳
河内神社/32かわうちじんじゃ/鎮座地:ハナマイ ※村社
轟神社/33とどろきじんじゃ/鎮座地:轟山 ※東谷
1)源太夫串山の位置
国土地理院の地図では相去地区の東谷と西谷に挟まれた山域に源太夫串山・標高535.8mと表示している。ここは、四等三角点でもあり、点の記には「点名・梅ノ元(うめのもと)」と西谷側の字名を採っている。
また同じ稜線附近(1km北方向)に四等三角点の「点名・名尻(なじり)」があり、地元ではこの山容を名尻山と呼んでいる。
別の資料である四万十森林管理署森林位置図では、西谷の右岸、芳川地区に接する国有林として「源太夫串山」と示し4001林班として管理されている。同じく、町の絵図面でも、西谷の右岸の芳川境の位置に「源太夫串山」を示している。位置的に見て国土地理院地形図の相去・芳川境の稜線に「636」の標高を記載しているが、この地点を頂とする相去側の山容が「源太夫串山」ではないか。
地名はいずれの場合も仕事や生活に必要な場所を認知するための固有された名称である。服部英雄氏も「地名の歴史学」で国土地理院の地形図の記載地名の誤りを指摘しているが、いまだ改訂されないという。「地名は人間の生活上で必要な認識記号」と氏は述べているが、まさにそのとおりでその意味から勘案しても、国土地理院の誤記載ではないかと思われる。
地元での現地踏査を踏まえ正しい位置を示していただきたい。
2)どこどこ流る「相去川」
高知県河川調書では、相去川の起点(自)の左岸を「相去字タンロ847番の1地先」、右岸を「相去字新田842番地先」とあるが、「タンロ」という字はなく、「新田」は相去川の右岸にはなく左岸となる。
3)ふたつのセイモト山
4)ヒルハシ村(地検帳)と蛭食谷(州郡志)
■長宗我部地検帳(1597慶長2年)
(幡多郡上の1p28-33:慶長2年2月3日)
上山郷の検地は慶長2年1月28日、「北川村シトキノ川」から始まっている。北ノ川の南部、四万十川の右岸から「上宮村」に渡り、「ハリ木村」まで進め、また「広瀬村」に渡り、「喜多川村」となる。ここから相去川を上り「一のまた村」「北川カラステ村」を終了して「北ノ川村」となっているが、現在の字と比定されるホノギ「イツノ谷、フルトノ、松の尾」があることから、「北川」、「ヒルハシ村」、「東また村」が相去の領域と思われる。ここから東又川を遡上し峯越えで「北川折相村」に至る。
慶長の時代には相去村とは呼ばれておらず、喜多川村、北川村若しくは北ノ川村の枝村であったようだ。
「北ノ川村」の検地始めのホノギに「イツノ谷」「フルトノ」があり、1反40代出47代と数少ない上田もあることから、西谷、東谷の合流点下流の右岸の平坦地が北ノ川村であろう。また比定されたホノギから「北川ヒルハシ村」は西谷集落で、「東また村」が東谷集落と推定される。
検地高は、本田と出田で11町2反とある。
検地役人は、正木右兵衛、国沢右近、松田与左衛門、横山二右衛門、黒岩治部
地検帳にみられる寺社は
・寺院
大蔵庵
・神社
中スカ宮
■州郡志(1704-1711宝永年間:下p331)
相去村の四至は、東限仁井田川口村西限芳川村南限烏手村北限仁井田久原村東西一里南北一里二十六町戸凡三十
山川は、樅尾山・常泉畑山・臼之尾山(皆在村北)、東股谷・蛭食谷(二川流合入烏手村)
寺社は、大蔵庵、川内大明神とある。
■郷村帳(1743寛保3年)
寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高115.762石、戸数32戸、人口99人、男58人、女41人、馬17頭、牛4頭、猟銃5挺
■南路志(1813文化10年:③p625)
244相去村 地百十五石九斗六升
河内大明神 祭礼十一月廿八日
長市若宮 同 十一月廿七日
六十四社 同 十一月廿日
同 同上
若宮 同上
轟権前 同上
■掻き暑めの記(1984昭和59年)
・ハナマイ(上p139)
「明治6年以降、各村のほぼ中央部に元標が建設された。相去礼村の元標は字はなまい(旧大蔵庵前旧道)に設置されていた。」
・お立て木の畝(上p280)
「折合の西村八平という人はお留山のお山番を命ぜられて居った。この山番が相去村の通称おうかみというう昔蛇の居たと云いつたえられた所の奥に「お立て木の畝」というお留山があった。昭和の年代まで松の美林が残っていた。ところが、この松材は終戦の少し前に造船材として切り出された四間の末口径にて二尺から三尺、なかには四尺という立派な材があった。」
■ゼンリン社(2013平成25年)
p18:相去、西谷、相去川、東又川、松尾橋、西谷橋、河内神社
p29:相去、東谷、東又川
p28:相去
■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)
相去、西谷、東谷、相去川、源太夫串山(標高:535.8m)※誤記載の疑、柳がさこ山(標高:608.8m)
■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)
梅ノ元(四等三角点:標高535.75m/点名:うめのもと)相去字梅ノ元656-1
※国土地理院地形図ではこの点名が「源太夫串山」となっているが誤記載か
名尻(四等三角点:標高559.14m/点名:なじり)相去字中谷山647-1
■四万十森林管理署(四万十川森林計画図)
明畑山(4001林班)
源太夫串山(4001林班)
常泉畑山(4002林班)
樅ノ尾山(4002林班)
■高知県河川調書(2001平成13年3月:p57)
相去川(四万十川1次支川相去川)
左岸:高岡郡四万十町相去字タンロ847番の1地先
右岸:高岡郡阿万十町同字新田842番地先
※「タンロ」という字名はない。タシロは電子国土Web「東谷(東又川)」の右岸に位置する。
※「新田」は電子国土Web「西谷(相去川)」の左岸に位置する。
東又川(四万十川1次支川相去川2次支川東又川)
名尻山を源流域として、相去川合流点まで0.95km
左岸:四万十町相去字轟サコ715番の11地先
右岸:四万十町相去字轟山679番の3地先
■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)
ノズガ谷橋(不明/相去字)
相去橋(不明/相去字)
エンショウ橋(不明/相去字)
アラタ橋(不明/相去字)
松尾橋(不明/相去字)
ヒノキナロ橋(不明/相去字)
ナカマ橋(不明/相去字)
本田橋(不明/相去字)
東又1号橋(不明/相去字)
東又2号橋(不明/相去字)
東又3号橋(不明/相去字)
■四万十町頭首工台帳(頭首工名・所在地・河川名)
シダオ山(シダオ山202・相去川)
オクヤシキ(奥屋式640・相去川)
佐竹(ヲンジ194-2・相去川)
瀬の上(ヲンジ196・瀬の上川)十進座標:33.218270,133.042052
ユル谷上北(ユル谷161・ユル谷川)十進座標:33.216556,133.040507
ユル谷中上(ユル谷山168・ユル谷川)
ユル谷(ユル谷山・ユル谷川)
小森山(小森山154・コウムケ川)十進座標:33.213935,133.044144
ジンナイズ(ジンナイズ222・相去川)
カトウ(西ドンド145・西ドンド川)十進座標:33.212032,133.045249
上段(ウワダン110・相去川)
渦(井出ノ谷山・井出ノ谷川)十進座標:33.211009,133.047910
マキ谷(マキ谷山250・マキ谷川)十進座標:33.212894,133.048339
下札場(下札場358・東谷川)十進座標:33.219913,133.056965
イシキ(モジリキ316-3・東谷川)十進座標:33.213199,133.053467
松原(松尾468-1・東谷川)
イグワ谷(イグワ谷31・イグワ谷川)十進座標:33.207867,133.052824 ※イヅガ谷川
チョイチ(定ノ木7・ 相去川)
アラタ山(アラタ山537・オブヤ谷川)
■四万十町広報誌(平成19年3月号)