よくある地名の語源 「う」


うばがふところ(姥ヶ懐・姥ガ懐・乳母ガフツクロ)

20160606胡

■語源

 南に開けた陽当たりのよい土地柄をもって、丁度乳母に抱かれているような温かい土地をイメージしてしまう。それと同じように『楢山節考』にみる棄老伝説や山姥伝説を思い浮かべることだろう。

 

 懐(ふところ)は、地元ではふつくろといった。離乳を進めるため乳を飲むことは禁じられる代わりに触ることは許され、それが小学校に入るまで寝とぼけた習慣となっていた。そんな編集子にとって「ふところ」は母の愛情の原点でもある。そんなここちよい音韻となるのが「姥ケ懐」地名でもある。

 

 ただ、「姥ケ懐」地名は全国に分布することから、多くの地名学者が論考を寄せている。

 秋田地名研究会の木村清幸氏は秋田地名研究年報第20号 (2004年)で『「姥懐」という中世地名について』 と題し、秋田県内の姥ケ懐地名を現地踏査した結果として、これまでの地名由来とする

① 鏡味完二氏の説:このような地名の所には山姥や姥神に関わる伝説がある。

② 中山太郎氏の説:自然の風を防ぎ 南に面して日当たりが良く 乳母の懐にいるような地所

③ 日本国語大辞典:没落した武士の若殿と乳母が住んでいたという伝承を持つ地

④ 地名用語語源辞典:ウバは「崖」の意か。崖に露出した陶土を産する場所の地名

の説では説明できないとして、文献史料を示し、中世後期には使われていた地名と断定。

 これまで、「うば・ふところ」という読み方に対して、 いろいろな漢字が当てられた結果「姥懐」「姥ケ懐」を筆頭に「優婆懐」「祖母懐」「乳母懐」から「右左懐」「姥袋」など様々な漢字が当てまでられているとして、漢字の呪縛にから解き放つように、氏は「うば・ふところ」を「うばふ・ところ」と読み進めた。

 つまり「鳥旄(うぼう)」と「惣所(ところ)」とを繋ぎ合わせたうえで「うばふところ」が転訛したものとして、解釈を進めている。

 これまで述べてきたように この地名が頻繁に使われていた中世期の交易活動 その観点からこの地名の由来を見直すという視点の方が肝心であると結論付けている。

 「鳥旄(うぼう)」と「惣所(ところ)」の説明の詳細は、秋田地名研究会HPのPDFを参照

 

▼ 柳田国男の『石神問答』に「姥が處」

 柳田国男の著作に『石神問答』がある。  日本にみられる各種の石神 (道祖神,ミサキ,荒神など) について山中笑、白鳥庫吉、喜田貞吉などかわした書簡を編集したものであるが『定本柳田国男全集第十二巻』所収の山中笑(山中共古)への書簡に「姥ヶ懐と云ふ不思議の地名すら、全国に亘りて忽ち数十箇所を列挙し得べく候 姥は又乳母祖母とも書き候より、山懐のフトコロを取合せたるなるべきも、本来は「姥が處」なるべきかと存じ候。即ち姥神を斎祀する場所の義なるべく候」と述べる(115頁)。

 

▼ 話は元に戻って「楢山節考」

 楢山節考の深沢七郎氏は何を語りたかったのだろうか。母を捨てに行くという「残酷な行動」は悲劇の物語のようでもあるが、おりんや辰平の二人の生き方は言葉少なくても理解しあいう親子関係、凛とした悲しみの向こう側の光を感じることができる。チャラチャラした言葉で説明しないと相互理解できない現代の暮らしからは、見えない世界の話なのだろう。

 

▼ 「姥ケ懐」の地名考 

 大正大奈路からの矢立往還は、梼原川と中津川の分水嶺となる山並みを縫うように設えており、上山郷の奥分や津野山郷の往来を支える幅一間の主要馬道である。その道の下津井分かれから松原方面に向かうところの稜線が南に開けた平坦地となっており、陽だまりにつつまれた揺籃の中で昼寝をしているようなこの一帯を通称地名として「姥ケ懐」と呼ばれているという。なんとも心地よい言葉の響きである。

 ここから中津川側に降りつけば森が内集落となるところである。

 中津川集落の徳広誠男氏は「なんともその名にふさわしい地形の地名である。」と言う。

 

▼ 中世の葬儀 「優婆浮図所」

 松葉川・日野地の柿谷には「コウラバタケ」というしゃれこうべにつうじるところがあり、その谷筋を登ると不思議な巨石が横たわっている。

 この地「優婆浮図所」は、日野地地区の葬後の共同墓地で「うばがふつくろ」と呼ばれた。亡くなった人を習俗に従って野捨てはするが弔う場所と考えてきたと云う。梵語で「優婆」は信徒のことで男子は優婆塞、女子は優婆夷と呼び、「浮図」は浮屠とも書き、死せる人のこと。

 つまり、優婆」(うば)の「浮図」(ふつ)の「所」(ところ)の信徒の亡き骸を埋葬するところが転訛して、「うばがふつところ」が「うばがふところ」となったのか。

 「うばすて」は中世あるいは近世初頭までおこなわれてきた一般庶民の葬送の儀式である。

 慶安4年(1651)土佐でも火葬が禁じられ野捨ての葬儀方式は改められ埋土葬となり、家に位牌を安置し丁重に祖霊を祀ることとなる。

 

▼ 『土佐州郡志』にも「姥之懐」

 刊本『土佐州郡志・上』の土佐郡朝倉庄(高知市朝倉)の段に「姥之懐 朝倉社西南山中石竇所謂之宇波加不登古呂」(434頁)とある。朝倉神社の西南の山中に石穴がありそこを「宇波加不登古呂(うばがふところ)」と呼ばれているとある。同じく、『土佐州郡志・上』の長岡郡の豊永郷の柚之木村(大豊町柚木)の段に「姥之懐山」の山名のみの記載がある。

 ともに、字一覧にはみあたらない。

 

▼ 高知県字一覧に見る「姥之懐」

  高知県下の「ウバガフトコロ」地名は、姥ヶ懐、姥ガ懐、姥母ケ懐、祖母懐、乳母ケ懐、ウバガフツクロ、ウバガホトコロの転訛も含め44ヶ所にみられる。

 「姥」の地名は、姥婆石、姥ヶ窟、姥カ岩、姥ヶ滝、姥ヶ岩屋など17ヶ所ある。全国的に石や岩窟に関連したところに「姥ヶ懐」地名が刻まれている。例えば富山の立山は立山信仰で有名であり他の霊山同様、女人禁制の地である。若狭の尼と侍女が掟を破り立山詣りをした。一侍女は美女平の美女杉となり、一侍女も杉に変じて禿杉となった。尼も力尽きて石と化し姥ヶ懐の姥石となったという説話がある(「立山手引草」岩峅寺文書)。姥が石や岩、窟屋に合わせて地名となっているのは、この立山信仰の説話が全国に流布したとも考えられる。当然ながら亡骸を洞窟で葬送する、名もなき老婆の死骸を土葬して石を据え置くといったことも含め、葬送の地名のようにも思える。

 

 

 

■四万十町の採取地

優婆浮図所(うばがふつくろ・日野地の通称地名)

ウバガフトコロ(魚ノ川の字)

うばがふつくろ(大正中津川の通称地名)

 姥ケ懐(うばがふところ・大井川の字) 

ウバホトコロ(古城の字)

 

■町外の採取地

▽県内(各市町村の提供による字一覧

ウバガフツクロ(安芸郡東洋町野根の字)

姥母ヶ懐(安芸市下山の字)

姥懐(安芸市川北)

乳母ケ懐(香南市夜須町千切の字)

乳母ケ懐(香美市土佐山田町加茂の字)

姥ケ懐(香美市土佐山田町平山の字)

ウバガホトコロ(香美市香北町韮生野の字)

姥ガ懐(香美市物部町五王堂の字)

姥ヶ懐(高知市池の字、同市介良の字)

ウバガフツクロ(高知市鏡柿ノ又の字)

ウバガフツクロ(仁淀川町土居の字)

ウバガホトコロ(土佐市出間の字)

姥ヶ懐(土佐市波介の字)

姥懐(土佐市新居の字)

姥ヶ懐(日高村沖名の字)

姥カ懐(越知町横畠北の字、同町宮地の字)

姥ケ懐(高岡郡佐川町丙の字)

ウバガフトコロ(高岡郡佐川町西山組の字)

姥ケ懐ロ(高岡郡佐川町瑞應の字)

姥ケ懐(高岡郡中土佐町久礼の字)

ウバガホトコロ(黒潮町奥湊川の字)

姥ヶフトコロ(黒潮町入野の字)

ウハカフトコロ(黒潮町上田の口)

ウバガフツクロ(四万十市奥鴨川の字)

乳母ヶ懐(四万十市伊才原の字)

ンバカホトコロ(四万十市安並の字)

姥フツクロ(土佐清水市布の字)

乳母懐(土佐清水市足摺岬の字)

 

姥ケ懐(土佐清水市大浜の字)

姥ノフトコロ(宿毛市山奈町山田の字)

 

 

▽県外電子国土Webで検索)

姥懐(秋田県能代市)

姥ヶ懐(秋田県由利本荘市)

姥懐(山形県上山市)

姥ヶ懐(宮城県村田町)

姥懐(福島県福島市)

姥懐(福島県南相馬市)

姥ヶ懐(福島県伊達市)

姥懐(福島県猪苗代町)

姥ヶ懐(長野県立科町)

姥ヶ懐(徳島県阿波市)