きたのかわ(北の川)【昭和地区の集落・組】
昭和地区内の四万十川上流域、四万十川第1支川北の川(右岸流)の流域集落。高幡消防組合四万十清流署西分署がある。
きびじり(キビジリ)【各地】
焼畑地名の一つ。シリは土佐では畑の意味。アサジリ、イモジリ、ヒエジリ、ゴマジリとシリの前に作物などが冠せられる。
四万十市西土佐口屋内の農家レストラン「しゃえんじり」は有名。 焼畑地名の詳細は →地名のお話→地名文化財「焼畑」
きり(切・キレ)【大切(窪川)、壱町切(口神ノ川)、下タ切(仁井田)、久保切(窪川中津川)、源八切(上秋丸)、下切(藤ノ川)、堀切(地吉)】〔高知県中西部に多い〕
キレ(切)は、地形が区画区分された状態で①田の区画②山の鞍部、谷間などの切れ目をさす意がある。圃場整備が進んだ今は「三反切」と呼ばれるセマチが多い。四万十町の窪川地域に「大切」の字が11カ所あるのもうなずける。
四万十市の中村高校の寮付近に「耳切」の地名がある。耳が切れるくらい北風が寒いところと聞いたがどうだろうか。隠語辞典には土蔵をの窓を破って入る盗人を「耳切」というそうだ。
キリ(切)は、切り開いた地・開墾地をさし、アキキリと焼畑地名と思える地名もある。秋切、夏焼といったとこか。「源八切」と名前の後に切が付くのは「○○作」と同じで焼畑地名であろう。
きりたてやま(霧立山)【下津井△梼原町△愛媛県鬼北町/標高1096.6m】
きょうづか(経塚・京塚・丁塚・塩塚)〔室戸市椎名経塚、安芸市大井キヨツカ、香南市上夜須京塚、南国市東崎チョウ塚、仁淀川町岩柄キヨツカ、須崎市土崎塩塚、宿毛市小筑紫町小筑紫清塚ほか〕
畑中章宏の『災害と妖怪』に、柳田国男の遠野物語にある「ジョウヅカ森」という不地震地を紹介し、続いて遠野在住の人類学者・伊能嘉矩(1867-1925)が示した遠野の糠森・地森・行灯森・経塚森・ショウヅカ森・経塚などの「不地震地」12か所を列挙している。「不地震地」とは、地震のときにも揺れることがなく、そこに逃げ込むようにすすめられている伝承地のこと。地震や津波の痕跡を地名として歴史に刻んだところは各地にたくさんあるが「不地震地」の記録があることを初めて知った。伊能は不地震地の多くに共通する特徴として「墳丘の特質を持つこと」「岩石の存在が認められる」と指摘している。地震のときに「キヨツカキヨツカ」と唱えれば地震がやんだり家の崩壊が免れるという言い伝えがあるという。「キヨツカ」や「ジョウヅカ森」は「経塚」が転訛したものと思われる。
経塚は、経文を経筒・経箱に入れて埋めた塚のことで、平安時代に盛んとなり、寺院、神社の境内地あるいは霊地の眺望のよい丘陵に設営された。六十六部や聖、修験者など多様な修行僧が全国を巡礼し経筒などを埋めていった。
驚くことに「経塚古墳」が全国に分布し、調べただけでも28か所あった。「経塚古墳」の名称が多いのは古墳が浸食にもなお残った強固な地盤に石で設えられていることから、後年経塚として再利用したものと思われる。その経塚が中世のホノギ、近代の字名称となり、古墳発掘の際に、その小字名を古墳名称にしたことから「経塚古墳」が全国に分布するに至ったものだろう。
Googleマップ<経塚という古墳群>で全国の経塚古墳の分布を示してみた。
https://www.google.com/maps/@35.2240918,133.3636339,610531m/data=!3m2!1e3!4b1!4m2!6m1!1s1-0pGZkNUVyOGMGnhl3gV36_iMbAVx5Q?hl=ja
高知県内に経塚及びその転訛と思われる小字が40ヶ所みえる。高知県文化財地図情報の古墳・遺跡と突合したが「不地震地」といえる経塚古墳は発見できず、その多くは修行僧が全国を巡礼し経筒などを埋めた「経塚」と思われる。
きょうでん(京田・経田)【六反地】
開墾地名の一つ。山口彌一郎『開拓と地名』は、東北地方の原始の形、開拓の模様、生活のようすを時代の経過により刻まれた地名から読みといていった労作で、全国分布も示しているので、メルクマールとして四万十町のホノギや字に当てて検証することができる。
全国に分布するが奈良県北部、山形県庄内平野に多くある。庄内平野では土地の高さから「京田」、「興屋(コウヤ)」、「新田(シンデン)」とある。
山口氏は、京田は、興屋以前の開墾集落で慶長年間より古い開発地名という。
四万十町内では、長宗我部地検帳のホノギとして「経田江カケテ(黒石)」、「経田ノスソ(香月が丘/東光寺分)」、「仏経田(下津井/西源寺作)」とある。
(20220623現在)
■語源
■四万十町の採取地
■町外の採取地