20150608初
20161115胡
【沿革】
大永(1521-1527)の頃西原藤兵衛重助が暫く鵜の巣城を構える。西原村とも荒谷村ともいう。
長宗我部地検帳(1588)に「穴谷之村」、「小窪川之谷」
それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)、南路志(1813)ともに「西原村」とある。
明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、窪川郷上番の高岡郡窪川村・西原村・若井村・峯ノ上村・金上野村・見付村・大奈路村・根元原村・神ノ西村・大向村・高野村・根々崎村・若井川村、窪川郷下番の宮内村・仕出原村・大井野村・口神ノ川村・中神ノ川村・奥神ノ川村・檜生原村・寺野村・川口村・天ノ川村・秋丸村・野地村・家地川村、仁井田郷の東川角村・西川角村、これら28か村が合併し新設「窪川村」が発足し、西原村は大字となった。
大正15年(1926)2月11日、窪川村は、町制を施行し「窪川町」となった。
昭和23年(1948)4月1日、幡多郡大正町の一部(折合)を編入した。
昭和30年(1955)1月5日、高岡郡窪川町、東又村、興津村、松葉川村、仁井田村が合併し新設「窪川町」となった。
平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。
地区内の班・組編成は、小窪川(こくぼかわ)、上組、中組、下組の4組となっている。
※地区内の班名称は「小窪川」。河川名称・ため池名称は「小久保川」
【地誌】
旧窪川町の中央部南寄り。四万十川左岸、茂串山南西に位置し、JR予土線が通る。主に農業地域。ため池は、小久保川上池、小久保川下池、荒谷池がある。寺社は、三熊野神社がある。
(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央部、南流する四万十川左岸の転円地帯が西原地区))
【地名の由来】
南路志には「大永の頃西原氏居城ニ依りて西原村と云、今又荒谷村と唱。」とある。大永(1520年代)年間に西原氏の鎮守地となったことを由来としている。
仁井田五人衆の一人で西原紀伊守貞清の父清延が、文明年中(1480)に紀州日高庄から来往し、城を築いてこの地方を鎮守した(窪川町史p136)とあるが、紀州日高郡吉村から来たときの姓は「吉村左衛門清延」である(窪川町史蹟と文化財p13)。丹羽基二氏によると「苗字の90%は地名からだ」ということから判断すれば、もともと西原と呼ばれた地に来往し、「吉村」から「西原」に改姓したと考えるのが通例ではないか。
西原の「原(ハラ)」は、場所あるいはその場所の居住すなわち集落を意味する場合が多いという。仁井田五人衆の中で最大勢力であった窪川氏の居城である茂串城をもとにして「西の原(集落)」から名付けられたとみるのはどうだろう。
ちなみに「野(ノ)」は、山麓の緩傾斜。普通裾野というものがこれにあたる(民俗地名語彙辞典)。
【字】(あいうえお順)
天笠野、荒谷、ウワキレ、大窪、太田、カヂ原、久万窪、コエヌ石、下岡川、下モシユノ川、修正田、十二処、障子越、四郎五郎、谷田、寺中、永山、ナリカ谷、八升マキタ、般若寺、東タ、フカ谷、船戸、フル井ヲリ、フルド井、溝ノ下タ、明後見、本田、本谷、本ノ谷、柳窪、柳瀬、横田、ヲカメカ谷、ヲコヂ【35】
※「大窪」は集成図にみあたらない。
(字一覧整理NO.順)
土地台帳の調査は、西原の上流部の「十二処」から始まり、小久保川を上流に向け、また折り返す。その後「コエヌ石」から四万十川左岸の平坦地を下流に向けて進み、農地・宅地を終えて山林へと向かう。
1十二処、2ウワキレ、3本谷、4カヂ原、5フル井ヲリ、6八升マキタ、7フカ谷、8ナリカ谷、9ヲカメカ谷、10四郎五郎、11溝ノ下タ、12コエヌ石、13横田、14太田、15本田、16大窪、17ヲコデ、18下岡川、19柳窪、20柳瀬、21久万窪、22東タ、23修正田、24フルド井、25永山、26明後見、27寺中、28般若寺、29谷田、30船戸、31荒谷、32ヲコヂ、33天笠野、34障子越、35下モシユノ川、36~37(欠番)、38本ノ谷、39(欠番)、40フル井ヲリ(再掲)、41~45(欠番)、46溝ノ下(再掲)、47(欠番)、48東タ(再掲)、49(欠番)、50ヲコヂ(再掲)、51障子越(再掲)
※「3本谷」とあるが、集成図では「本ノ谷」
※「33天笠野」のルビは「アマカサノ」とあるが、障子越を降りた金上野にも天竺野(テンジクノ)がある。
【ホノギ】穴谷村・小窪川之谷
〇仁井田之郷地検帳 四(高岡郡下の2/検地日:天正17年1月16日)
▼小窪川之谷(p379)
十二所、ニイヤタ、ミセマチタ、ウワキレ、アキミルタ
▽窪川ノ城ヨリ坤モトノ谷ヲ付(p379)
サワタ、モトノ谷、東ノヲク、下山タ、井ノモト、ホウノキノモト、ツ井ノモト、シヤウシコエ、カチラ、ヲトマセタ、ムカイクチ、カリマイク、新兵衛タ
▽爰ヨリフルイヲリノ谷(p380)
フルイヲリ、ハノサマキタ、ヲチカ谷
※「ハノサマキタ」は「八升マキタ」の誤判読ではないか
▽爰ヨリ谷ヲクチヘ出テ谷川ヨリ西路ノ上ノハシヨリ付(p380)
ナリカ谷、サキノス、カモンタ、四良五良タ、溝ノ下、井ノモト、ウハカフツクロ、コヘヌ石ノモト
▼爰ヨリ穴谷之村(p380~386)
シマノ宮、クマノクホ、横タ、丸タ、スカ
(12月17日)
修正テン、カカウタ、マトハ、コカカウタ、小路口、ヲキヤシキ、永山、九良二良畠、リヤウ屋敷、弓場、地蔵堂、シヤウユウケン、福円寺マエ、寺中、西ヤシキ、古土居、カミヤシキ、上古土居、クマノ窪、マエザハ、東タ、犬ホウタ、太タ
(1月18日)
御堂ノクホ、中ノ、ハサコミソ、権現宮ノマヘ、シホリノモト、孫次良タ、シキテン、五ハイマキタ、カミヤシキ、ヲカモトタ、ホンテン、大クホ、スカ、ウツシリ、ヲコチ、九良二良畠、シキタ、井ノクチ山ノ子、シモヲカノ川、西、コウタ、榎ノクホ、カミヤシキ、大良次良ヤシキ、七良左衛門ヤシキ、ヤナセ、ウエキノモト、ヤナセヒキ畠、般若寺寺中、与三タ、下舟戸、コウタ、竹ノ内タ
▽爰ヨリ又跡ヘ返テ権現谷ノ奥ヲ付(p386)
コエル石、権現谷、桑木サコ、ホウタ谷
【通称地名】
【山名】
荒谷山(あらたにやま/標高:424m)
【峠】
障子越(西原△金上野) ※注記荒谷山
【河川・渓流】
小久保川(町管理/)
荒谷川((町管理/)
【瀬・渕】
アメウジ(南路志p302)
鵜の巣の淵(高知県神社明細帳ほか)
【井堰】
【ため池】(四万十町ため池台帳)
【城址】
西原城(西原字荒谷山山頂/西原清延)
【屋号】
【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳
三熊野神社/9みくまのじんじゃ/鎮座地:荒谷 ※村社
1)コエル石とコエヌ石
2)障子越と天竺野
西原と金上野に同じ地名があるが、西原は天笠
■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅰ」)
西原部落の部落名については、南路志(1813年)には”西原村・古名荒谷村又穴谷村ト云”と記るしている。これに対し長宗我部地検帳では、穴谷村と明記しており、天正の頃は穴谷村と称していたことがわかる。そしてこの穴谷村は本村と小窪川谷の両部落で成り立っていた。
検地を行ったのは、窪川町での検地も終わりに近い天正17年(1589)1月16日から同月18日へかけてである。(同p61)
・神社
三熊野神社(村社/字荒谷鎮座)/合祀:六十余社、八幡宮、稲荷神社、水神社、竈戸神社、春日神社、
境内社:今天神社
・寺院
般若寺(今の文殊堂)、福円寺、地蔵寺
■州郡志(1704-1711宝永年間:p280)
西原村の四至は、東限若井村北限窪川村東西五町南北八町其土赤黒
寺社は、圓満寺、般若寺、権現社
古跡は、古城とある。
■郷村帳(1743寛保3年)
寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高135.159石、戸数19戸、人口105人、男57人、女48人、馬29頭、牛0頭、猟銃0挺
■土佐一覧記(1772-1775明和・安政:山本武雄著「校注土佐一覧記」p294)
安芸の歌人・川村与惣太が西原で草枕して読んだ歌
西原
古城
夕ごりの雲かとみればたく柴の 煙ぞくゆる遠の山里
※今宵も一人の草枕。西原の里は、あちらこちらで夕餉の煙がたなびいている。家族のぬくもりは久しいなー(勝手読)
※「夕ごり」の意味が分からない。凝固のコルなら雲が寄り集まることか
※図書館本系統本では「西原」の記述はない。広谷系統本では仁井田五社→窪川・古城→西原・古城→寺森(寺野)の順。
■南路志(1813文化10年:③p302)
166西原村 仁井田郷本堂之内、又云窪川郷十三村之一也。 地百三十五石三斗
古名荒谷村、又穴谷村ト云。大永の頃西原氏居城ニ依りて西原村と云、今又荒谷村と唱。
熊野大権現 荒谷口 祭礼九月八日・十一月十四日
六十余尊
八幡
福圓寺 寺中壱反卅代、本田ノ内 往時仁井田郷七福寺の一也。退転、本尊のミ残。
本尊薬師 古寺領弐石六斗
古城 西原紀伊守貞清居之。
西原紀伊守女墓 ウスノ
淵 アメウジ
■ゼンリン社(2013平成25年)
p88:西原、四万十川、土佐くろしお鉄道中村線、三熊野神社
p87:西原、四万十川、土佐くろしお鉄道中村線、文殊堂
■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)
西原、四万十川(渡川)、土佐くろしお鉄道中村線
■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)
西原(四等三角点:標高283.68m/点名:にしはら)西原字フル井ヲリ653-1番地
■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)
梶原橋(不明/西原字カヂ原87-2)
本田橋(荒谷川/西原字本田477-1)
■四万十町広報誌(平成27年10月号)