下岡

しもおか


20150422初

20170220胡

【沿革】 

 長宗我部地検帳には「下岡村」。

 それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)南路志(1813)ともに下岡村」である。

 明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、幡多郡田野々村、北野川村、烏手村、相佐礼村、弘瀬村、折合村、市ノ又村、上宮村、芳ノ川村、打井川村、上岡村、下岡村、瀬里村、四手ノ川村、西ノ川村、中津川村、大奈路村、下津井村、江師村、下道村、木屋ヶ内村、小石村の22か村が合併し「東上山村」が発足し、下岡村は大字となった。

 大正3年(1914)1月1日、幡多郡東上山村は、 村名を改称し「大正村」となった。

 昭和22年(1947)8月1日、幡多郡大正村は、町制を施行し「大正町」となった。

 平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。

 

【地誌】

 旧大正町の中央部南寄り。三方を山に囲まれ、北は芳川、西は瀬里・希ノ川、南から東は上岡に接する。ほとんどが山地。集落の中央を下岡川が南流し、南境の西流する四万十川に合流。流域に水田・集落が立地する。農林業が盛ん。四万十川沿いに国道381号が通り、バス運行1日7便。建設会社・金津風呂神社(祭神金山彦命)がある。自然酵母でつくるメルヘンチックな小さなパン屋さん「麦の穂」もある。集落協定による農業の共同化が進んでいる。

(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真左側が下岡)

 

【地名の由来】

 四万十町史(資料編p43)には「仁井田川に北からの下岡川が合流する右岸の山間地域で上山郷上分の一村。下岡の地名は下流にある河岸段丘の意といわれる。」とある。隣の上岡地区と対となる地名。

 「岡」は「丘」に遅れてやっと平成29年度(2019)から常用漢字となる予定だ。

 字源辞典・字統によると『丘』は象形文字で「土の高きものなり。人の為る所に非ざるなり。四方高く、中央下きを丘となす」とあり、墳丘の象形である丘は丘墳に関する語が多いとある。かたや『岡』は会意(文字の複合)で网に火を加えて、高熱で焼成するものを岡といい、赤土色の焼き固められた鋳型というのが原義とある。上岡川の上流域に坑道跡がある。戦前アンチモン鉱山であったという。中世以前にも何らかの鉱山があり溶融する「岡」があったと想起する。

 

 方向を示すこちらの方言に、「オキ・オカ」がある。川に向かった方がオキ、その反対で山に向かった方がオカである。編集子の住む地区の小区分となる組名は、他の組は東西を冠しているのにたいし、南が川で北に山を受けた小高い所であることから、その名称が「オカ(丘)組」となっている。

 


地内の字・ホノギ等の地名

【字】(あいうえお順)

 沖田、カイマイ、カイマ井、影平山、シダヲ、シダヲ山、下山口、ジルサオ、スケノサコ、日ノヒラ、日平山、松平山、ヤヂ床【13】

 

(土地台帳・切絵図番順)

 1松平山、2下山口、3沖田、4日平山、日ノヒラ、5シダヲ、シダヲ山、6ヤヂ床、7ジルサヲ、8影平山、9カイマイ、10スケノサコ

※切絵図には、「日ノヒラ」、「シダヲ山」の記載がない。

 

【ホノギ】下岡

 ▼是ヨリ下岡村(上山郷地検帳p43~45/検地日:慶長2年2月12日)

 下山口、上ノ谷、ホリ明、下田、本十代ヤシキ、南ノ下、成就院やしき、東上、谷ノヲク、南川フチ 

 

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大正町切図(0805下岡).pdf
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804下岡・集成図.pdf
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【通称地名】

 

 

【山名】

 

 

【峠】

峠(地区△地区) ※注記 

 

【河川・渓流】

 

 

【瀬・渕】

 

 

【井堰】

 

 

【城址】

 

 

【屋号】

 

 

【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳

金津風呂神社/43かねつふろじんじゃ/鎮座地:松平山 ※村社

 


現地踏査の記録


地名の疑問


出典・資史料

■長宗我部地検帳(1597慶長2年)

 慶長時代の”下岡村”は、検地高が2町8反という小村である。

 2月12日、”セリ村”から四万十川右岸を登りつめた検地は、”下岡村”のホノギ「下山口」から始まる。

 ホノギ「下田」の3反ほどの上田の次に、ホノギ「本十代ヤシキ」の上ヤシキとなり、隣が中ヤシキと続くことから、ここが有力者の居所であったことだろう。検地の流れからして田村耕一宅と比定する。

 所有関係では「上山宗吉良給」30筆と「上山惣吉給」23筆とが大部分を占める。

 地検帳にみられる寺中はないが、ホノギに「成就院やしき」とある。 

 

■州郡志(1704-1711宝永年間:下p328)

 下岡村の四至は、東限上岡村西限四手川南限巨宇登宇之野北限芳川村東西二十町南北二里戸凡九其土黒雑砂

 山川は、下岡谷(自北流南)

 寺社は、明神社とある。

 

■郷村帳(1743寛保3年)

 寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高28.237石、戸数6戸、人口26人、男14人、女12人、馬1頭、牛3頭、猟銃2挺

 

■南路志(1813文化10年:③p626)

248下岡村 地二十八石二斗

金津風呂明神 下山口 正体石二

 

■掻き暑めの記(1984昭和59年)

 スゲノサコ(上p140)

 明治6年以降、各村のほぼ中央部に元標が建設された。下岡村の元標は字スゲノサコに設置されていた。

 

■ゼンリン社(2013平成25年)

p32:金津呂神社、下岡川、下岡橋

※「金津呂神社」とあるが「金津風呂神社」の誤記

 

■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)

下岡

 

■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)

なし

 

■高知県河川調書(2001平成13年3月:p57)

下岡川(しもおか/四万十川1次支川下岡川)

左岸:下岡字影平山121番地先

右岸:下岡字日ノヒラ77番地先

 

■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地) 

 影平橋(不明/下岡字)

 

■四万十町頭首工台帳:頭首工名(所在地・河川名)

シダオ山(シダオ山172-7・下岡川) 

 

■四万十町広報誌(平成24年11月号)

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ぶら〜り散策0804【下岡】20121101.pdf
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