【民俗地名語彙辞典】(松永美吉1994三一書房)
〇地のことを「ナ」とか「ニ」とかいった。
粘土をヘナ(ヘナッチ)という。ヘナのナ、地震の古語のナイ(ナイユル、ナイフル。ナは土地、イは居で基盤、フル<振る>はそれをゆるがす)のナ。土をいうナがニに変化してニも土を指す語となる。赤土をアカニ、青土をアヲニ、白土をシラニ、スナ(ウブスナ)、タナ(火山灰)などという。
人の生まれた土地をウブスナといい、そのナも土(土地)のことで漢字を与えれば「産土」となる。古くは生まれることをウブス、ウブシといい、これにナという名詞をつけてウブスナになったという。相当面積の広い地面をヌともノともいう。これはナの変体であろう(松尾『日本の地名』)
※地震の古語をナイ(ナエ)というのは当たらない。ナイは大地の義で、琉球方言のようにナイユルン、ナイフル(地揺る)といわなければ正確ではない(同書p144)
※高知県方言辞典は、<ない>について「古語。地震。土佐清水」と書いている。
※鹿持雅澄『幡多方言』に「地震ノナイカユルト云、コレハ古語ナルヘシ古書ニ地震ヲナイフルトヨマセタリ、土佐」とある(同書p144)
特定の地主に隷属する小作農の一種にナゴ(名子)というのが東北地方、椎型、島根、徳島、岡山、広島、九州地方に残っている。コは労力提供者の意味で山子、堀子、網子、カコ(水主)など種々ある。名子のナは土地を意味するナであり、名主に対する概念である。
八重山地方ではナイ、沖縄でナといい、土地のことで納の字を宛てている。ノ、また、野と関係がある。
〇「ナ」を語頭において「海」を意味する。
ナギ(凪)、ナギサ(渚)、ウナバラ(海原)など一般語としてあり、ナは「海」を意味する語根と思われる(同書p168)
※ナはサカナの魚(ナ)と思っていた。魚群をナブラというのは太平洋岸の共通語で高知県ではナムラという(編集子)
【地名用語語源辞典】(楠原佑介1983東京堂出版)
①場所を示す接頭語・接尾語。「土地」をいう古語のナ ②特定の村や家系のこと。決まった「名」を持った集団 ③ノ(野)の転訛 ④ナダ(灘)の略 ⑤浦。灘(対馬の方言) ⑥ナミ(波)の略 ⑦ナガの略 ⑧ヌ(沼)の転訛 ⑨助詞ノの転訛
【全訳読解古語辞典】(外山映次2007三省堂)
①な<肴> 鳥獣の肉や魚、植物などの副食物の総称。おかず ②な<菜> 食用にする草の総称 ③な<魚> 食用にする魚類の総称 ④ない<地震> 歴史的かなづかい「なゐ」
【日本語オノマトペ辞典】(小野正弘2007小学館)
なびなび ①のびやかで、感じのやわらかなさま。流麗なさま ②こまごましていないさま。曲折を尽くしていないさま。鷹揚なさま
なみなみ ①水や酒など液体が入れものいっぱいにあふれそうになるほど多量にあるさま。満々。なんなん。 ②余裕のあるさま
なむなむ ①手を合わせて、拝むさま。幼児語 ②水や酒など液体が入れものいっぱいにあふれそうなさま ③平凡に暮らすさま(京都)
なめなめ ①なめらかなさま。ぬめぬめ。ぬるぬる
なよなよ ①長いもの、幅広いものが弱々しく曲がりくねっているさま
なんなん ①水や日ざしが満ち満ちているさま
【川をなぜカワというかー日本語生成原理の発見】(渡部正理1999新人物往来社)
流動・伸展の「ナ」は、平面的な広がり、線状の伸び、物事の連続、推移などの語源を持つ(p193)。
(1)平面的な広がり
ナグ(薙ぐ) 横ざまに払って切る。
ナグ(凪ぐ) 波風が穏やかになる。
ナラス(平す・均す)
土地のことを「ナ」というのも、「広がった場所」の意であろう。奈良の「ナ」も、「ならす、なだらか」の意であろうが、これが地形的な平坦をいうのか、統治の平安をいうのかは明らかでない。
(2)線状の伸び (3)連続・並列 (4)事態の推移
※これについては本文参照(渡部正理著)→ホームページ「日本語の起源」
ナイ=川
アイヌ語では「川」を「カワ」とは呼ばず「ナイ」と呼ぶ。その名はどのような場面で発生したのであろうか。その答えは「ナイ=NAYIまたはNAI」と表記して見ると判明する。
NA 強調すべき危険。非常に危険。
YI 移動的な行動。I=行動。
ある時、川が増水し今にも堤防(あれば)からあふれそうになった。あるいは鉄砲水が出た場面かも知れない。村人は「ナイ!」と叫ぶ。その意味は「非常に危険な移動行為だ!」となる。やはり川に危険が発生した時の言葉であるとわかる。
日本語「ない」は「地震」をいう場合がある。その意味はもちろん「非常に危険な移動行為」なのだ。しかし古くは「なゐ」と書いたのであるから、起源は「非常に危険だから動くな!」という命令形だった事がわかる。「地震」が「カワ」とならなかった理由は「ワ=大量」という概念が「川の増水」には適合し「地震の危険」には「量」の概念がないからである。なお「無い」の「NA」は「事件の否定」である。
なかぐみ(中組・中組山)【戸川地区の集落、中組山(床鍋)】
ながさわ(長沢)【古城地区の集落】
なかじま(中島・中嶋)【大井川地区の集落・字】
四万十町大井川に流れる四万十川第一支川大井川の支流・山口川の中流域にある。国土地理院地形図に記載される地名。
ながの(長野)【平野地区の集落】
なかひら(中平・中平山)【中平(戸川地区の集落・昭和)、中平山(木屋ヶ内)】
なかむかい(中向)【金上野】
なかやま(中山)【奥呉地、向川、江師、下津井ほか】
『地名用語語源辞典』は①間の山②山に入った中として「実例から②が多く、古くはこうした語順があったか」と解釈する。
「中」は中村・中島・中谷・中井・中津・中田・中尾と用例は多く、ナは中の意味でカはアリカ・スミカのカで所を意味しそれぞれの地物の中間を示す。
その空間的な上下(うえした・かみしも)・左右・前後の中間の意味に加え、中世の荘園や郷村などの四至=境界に登場する「中山」を境界地名として考察したのは黒田日出男氏である(『境界の中世 象徴の中世』(1986年、東京大学出版))。「中世において、国境・国堺に「山中」が存在していた。国堺の山ならどこでも「中山」と名付けられた訳ではなく、注目すべきは両国を結ぶ道が通っていることである」として荘園、郷村を結ぶ交通・交易路における中間の山、峠=境界の山であると結論づけている。
なごち(名子地)【小屋河内村(木屋ヶ内)、吉川村(芳川)】
ホノギに「名子地」とある。上山郷吉川村の長宗我部地検帳では、比定された「カクレヤブ」、「サウカ谷(宗川)」の附近に「名子地(奈路地)」とあることから、名子地が奈路地に転訛したものと思われる。名子とは中世、名主に隷属した下層農民。近世には多く本百姓になったが地方によっては本百姓と隷属関係が残された。東北日本の名子制度は一揆が起こるほで自立には困難が伴ったが、西南日本では生産性が富み、自立がなされたとある(日本民俗文化大系⑧p111)。「名子地」は名子の独立過程でうまれた地名であろう。
なつやきやま(夏焼山)【与津地】
焼畑地名の一つ。雑木を夏伐って夏焼く(土用の日)ことを「夏ヤブ・夏ヤキ」という。ヤキとは火入れのことである。秋伐って翌春焼く「秋ヤブ」または「春ヤブ」が焼畑が一般であり、むしろ夏焼きは特殊であった。 →詳しくは「地名の話」→地名文化財「焼畑」
四万十町では「夏焼(窪川)」「夏ヤケ(南川口・市生原)」「夏焼山(与津地)」の字名がある。
金属地名の研究家である谷有二氏は「カジヤシキという地名からタタラ(製鉄炉)跡が発見されてる。製鉄伝承には炭焼藤太とか藤五のように『藤』の字がよく表れる。それほど炭と鍛冶は不可分な関係にある(日本山岳伝承の謎」と述べている。
タタラ製鉄には炭が重要な火力となることから、薪炭林の調達しやすい山間に炭焼きとタタラ製鉄が共存することになる。必然的に食料の調達も必要なため付近で焼畑農業も生業として行われ、まさに「タタラ製鉄」「炭焼」「焼畑」は三位一体の関係となる。
この与津地の字名「夏焼山」の付近に「梶屋敷」「風呂」があり、また、ホノギには「カチヤシキ」「ソリ」「藤四良田」がある。焼畑と炭焼の関連地名が見えるが、次にはタタラ製鉄の跡を地名から探索することが求められる。
ただし、カジは鍛冶ではなくて樹木の梶の場合もある(字名は梶屋敷)。この梶屋敷の裏山が「加治荒山」とある。荒は切替畑の休閑地の意味もあり、そのために梶を植林したのかもしれない。余談ではあるが「加治荒山」はクシフルタケと読めば天孫降臨の地をなぞった地名となる。天孫のニニギが日向の高千穂に降臨した地が「久士布流多気(クシフルタケ)」である。朝鮮語では亀村の峰ということになる。このすぐ近くに「亀ノ体」という不思議な字名があるから余計に気になるところだ。
なべたに(鍋谷)【十川地区の集落】
ななかます(ナナカマス)★【四万十市具同、土佐清水市宗呂、大月町弘見、大月町清王】
中土佐町誌(p253)に古老の話として「カマスは籾を入れる藁などで編んだ袋で、これに約四斗の籾が入るので、これが七つ入るくらい取れる田のことではないか」とある。
カマスは漢字で「蒲簀・叺(国字)」と書き、古くはガマ(蒲)を編んだことによるもの。穀物や塩、肥料などを入れ保存や輸送に使われた。農家の夜なべ仕事でつくられた藁筵(わらむしろ)を二つ折りにして両端を細い縄で縫った容器(袋)であるが、丈夫な紙袋の普及により現在は見かけることがなくなった。一斗缶は18リットル缶。これを四缶(4斗=1俵)はいるカマスを担う昔の人は力持ちである。
当時としては七俵もとれる田は上田であることから、誉として名付けられた地名であろう。高知県下の小字名として刻まれたのが幡多地方だけというのが不思議だ。
久礼から窪川(仁井田)に向かう久礼坂を急坂を登りつめたところ。この険阻な遍路道は「添蚯蚓」の坂と「大阪谷」の道がある。明治26年(1893)郡道改修時に狭い峠を切り抜いたことから、当時地元では「切り抜き」と呼ばれた。
名の由来は、①長宗我部地検帳によると六郷七郷八番と区分されている「七郷」へ入る峠という説②白皇千助兵衛の城が落ち七人の子も自害、一羽の鶴が上空を七日間、七年にわたって舞い続けた「七人の子悲恋物語」説③峠に七戸(軒)の茶店があった説の3説がある。
(①、②→庄崎一著「霧の流れる里」)(①、③→「窪川町 史蹟と文化財」)(①、③片岡雅文著「土佐地名往来」105)
なるかわ(成川・鳴川)【成川(金上野)、ナル川(打井川)、成川(大正中津川)、ナル川(古城)】
なろ(奈路)【東又地域の大字・行政区、奈路(若井川・南川口・大井川)、大奈路(大正大奈路・東大奈路)、長者ヶ奈路(折合)、本奈路(烏手)】他多数
山腹や山裾の緩傾斜地を表す地名地名を高知県ではナロ(奈路)という。奈路(なろ)の全国分布は高知県だけで、それも中西部に多い。ナロ地形にふさわしい地名がこの地「奈路」である。
なわて(縄手・畷)【ナワテ(七里西影山、高知県下に20か所の小字】
『和名抄』に「畷、田間道、奈八天」とある。田と田の間の細い道で、古代の条里制の区画地名という。『民俗地名語彙辞典』に「丘をとりまく”箕の手”の道にたいする”縄手”のこととあるが高知県には箕の手の地名はみあたらない。高知県中部を中心に20か所の小字があり大部分が地検帳のホノギと比定される中世以前の古い地名。縄手、畷の字が充てられ全国に分布する地名である。
香美市香北町太郎丸畷テ(ナハテ) ※括弧書きはホノギ
香美市香北町朴ノ木縄手ノ浦(ナワテノ浦)
南国市里改田高縄手(高ナワテ)
大豊町中屋ナカナワテ(ナカナワテ)
高知市長浜ナワテノ裏(ナワテノ浦)
土佐市北地ナワデカ内(ナワテノ内) ほか
(20170719胡)
(20230126最新)