20150608初
20170124胡
【沿革】
長宗我部地検帳に「野地之村」。また「同村之内家地川之村」とあることから、家地川地区は野地の枝村であったようだ。
それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)、南路志(1813)ともに「野地村」
明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、窪川郷上番の高岡郡窪川村・西原村・若井村・峯ノ上村・金上野村・見付村・大奈路村・根元原村・神ノ西村・大向村・高野村・根々崎村・若井川村、窪川郷下番の宮内村・仕出原村・大井野村・口神ノ川村・中神ノ川村・奥神ノ川村・檜生原村・寺野村・川口村・天ノ川村・秋丸村・野地村・家地川村、仁井田郷の東川角村・西川角村、これら28か村が合併し新設「窪川村」が発足し、野地村は大字となった。
桧生原、寺野、南川口、天ノ川、秋丸、野地、家地川、折合の8地区を「立西」と呼ぶ。
大正15年(1926)2月11日、窪川村は、町制を施行し「窪川町」となった。
昭和23年(1948)4月1日、幡多郡大正町の一部(折合)を編入した。
昭和30年(1955)1月5日、高岡郡窪川町、東又村、興津村、松葉川村、仁井田村が合併し新設「窪川町」となった。
平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。
地区内の班・組編成は、上組・下組の2組となっている。
【地誌】
旧窪川町の南西部。西は旧幡多郡大正町に接する。蛇行しながら南流する四万十川流域の地域で、左岸にわずかばかりの平地が開ける。主に農業地域。集落は東部の山麓に展開し、同所を県道329号秋丸佐賀線が通る。野地神社がある。
(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央上段、右から左へ穿入蛇行する四万十川の左岸が野地地区)
【地名の由来】
【字】(あいうえお順)
池ノ谷、池野谷山、池ノ谷山、梅ノ窪、大クボ、大久保、影ケ地山、影地、上ハ松ノ前、川原崎山、鯉ノ谷、鯉ノ谷山、坂本、桜野、桜野山、山桝木、山枡ノ木山、常法谷、天一畑、轟頭、轟頭山、長田、長畑、平野続山、松ノ前、道前山、柳ノ谷、吉田、ヨシノナロ、吉野奈路【30】
(字一覧整理NO.順 野地p48)
1轟頭、2吉田、3長田、4桜野、5柳ノ谷、6長畑、7天一畑、8常法谷、9山桝木、10鯉ノ谷、11梅ノ窪、12松ノ前、13上ハ松ノ前、14影地、15池ノ谷、16大クボ、17吉野奈路(ヨシノナロ)、18轟頭山、20池野谷山、21平野続山、24天一畑(再掲)、25常法谷(再掲)、26山枡ノ木山、27鯉ノ谷山、29上ハ松ノ前(再掲)、30影ケ地山、31道前山、32池ノ谷山(再掲)、33大久保、35川原崎山、36坂本、37桜野山
【ホノギ】野地村/枝村:家地川村
〇仁井田之郷地検帳 五(高岡郡下の2/検地日:天正17年2月19日)
▼野地之村(p443)
トトロカシラ、西谷
▽爰ヨリ野地分(p443~452)
コウタ、竹ノ本、ヨシタ、松ノマエ、畠タ、アラ瀬、せントウタ、中クイ、クイノマエ、トウクンタ、リンコウタ、山ノマタ、永タ、林紅タ、松ノクホ、南山ノ子、柳ノ谷、ヲソノ渕、ヒラ野、スケノ谷、松野ノ谷、竹ノハナ、ホリ、名本ヤシキ、ヲエヤシキ、中マ畠、天一畠、天一神ノ南、九良畠、中ヤシキ畠
(2月20日)
カチヤシキ、井ノクチ畠、常宝庵寺中、庵ノマヘ、イナイノ窪、トウノモト、イツ、アンノ谷、イツリハ谷、衛門九良タ、忠左衛門タ、サンシヤウノキ谷、コイノ谷、楠木マタ、古タクホ、七貫タ、キシノ下、弥藤次畠、竹ノハナ、イカリクチ、梅ノクホ、サイノウ、柳ノクホ、古宮、ユノ上井、ウツキヤフ、岩本タ、タイトウシリ、桑ノクホ、トウコウタ、タハノハナ、ケシフン、大クホ、鳥クヒ、コウタソリ
(2月21日)
ヨシタマサキ谷、ウツケヤフ、柳ノ谷、タカテホキ、ソラタカテ、平六タ、大キノヲ山、クスノ川、永タ、下キレ、コウタ、カケ地、コモノ本、坂本、山本、下コウ、島ノ宮
▼大河ヨリ南地ヲ付 ※ホノギ「サキノクシ」は通称地名「鷺の串」に比定できる。現在は家地川地内。家地川に掲載する。
サキノクシ、平入道カ谷、ノ中、山ノ子ハイノモト、ヌタツホ
【通称地名】
【山名】
山名(よみ/標高:)
【峠】
峠(地区△地区) ※注記
【河川・渓流】
【瀬・渕】
【井堰】
【ため池】(四万十町ため池台帳)
【城址】
【屋号】
【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳
野地神社/196のじじんじゃ/鎮座地:山本→杉本 ※村社
天一神社/198てんいちじんじゃ/鎮座地:天一畑
■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅰ」)
地検帳ではこの部落を野地之村と表現し、番中その他の名称を冠していない。そして家地川部落については”同村之内家地川之村”と記しているところをみると、天正の頃は家地川部落を枝村としていたことがわかる。(同p160)
この部落の検地を行ったのは天正17年2月19日から21日までの三日間にわたっている。
・神社
野地神社(村社/字杉本鎮座)/合祀:三熊野神社、琴平神社、山津見神社、竈戸神社、神明宮、牧野霊社
天一神社(無格社/字天一畑鎮座)
・寺院
常宝庵
■州郡志(1704-1711宝永年間:下p281)
野地村の四至は、南限家地川村東西五町南北十町其土黒
山川は、楠木谷、影之平
寺社は、常宝庵、川内社、権現社とある。
■郷村帳(1743寛保3年)
寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高138.661石、戸数31戸、人口137人、男67人、女70人、馬23頭、牛0頭、猟銃0挺
■土佐一覧記(1772-1775明和・安政:山本武雄著「校注土佐一覧記」p295)
安芸の歌人・川村与惣太が埜地(野地)で草枕して読んだ歌
埜地
よなよなの露の宿りもいかならん 秋風そよぐ野地の萩原
※今宵も野宿となりめいってしまう。萎えた心は秋風になびく萩と一緒、どうしてこんな旅をしてるのだろうか (勝手読)
※季節は三秋。露の宿とあるから野地で宿泊していることになる。
■南路志(1813文化10年:③p300)
158野地村 仁井田郷本堂之内、又云井細川郷六村之一也。 地百四十一石七舛七合
川内大明神 嶋ノ宮 祭礼十一月十二日
熊野権現 楠ノ川
阿弥陀 薬師大師
古城
■ゼンリン社(2013平成25年)
p94:野地、県道秋丸佐賀線、四万十川
p101:野地、県道秋丸佐賀線、四万十川
■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)
野地、四万十川、野地橋
■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)
長田(四等三角点:標高187.34m/点名:ながた)野地字長田1202番地
野地(四等三角点:標高303.05m/点名:のじ)野地字大久保山939-1番地
道前山(三等三角点:標高492.78m/点名:どうぜんさん)野地字道前山913-12番地
■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)
なし
■四万十町広報誌(平成26年10月号)