20150608初
20160913胡
【沿革】
長宗我部地検帳では「六反タ村」「六反地村」と二通りに書き分けられている。
南路志には加江坂本村の枝村として「六反地枝村慶安年中、須崎村郷士武政利右衛門開撥せしに、功を不成して其後小倉少助新開発也。」の記述がある。
明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、高岡郡床鍋村、影野村、奥呉地村、魚川村、下呉地村、替坂本村、六反地村、仁井田村、小向村、中ノ越村、富岡村、平串村の12か村が合併し「仁井田村」が発足し、六反地村は大字となった。
昭和30年(1955)1月5日、高岡郡仁井田村は、 窪川町・松葉川村・東又村・ 興津村と 合併し新設「窪川町」となった。
平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。
地区内は、六反地街分と六反地郷分の二つの行政区がある。それぞれ班・組編成はしていない。
【地誌】
旧窪川町の北東部。六反地街分と六反地郷分の二つの集落からなる。南流する仁井田川中流右岸の平地で、JR土讃線と国道56号が通り、集落は国道沿いに展開する。JR六反地駅、高知県森林組合連合会高幡共販所の貯木場、長山神社、和霊大山神社がある。
(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央部が六反地地区)
【地名の由来】
辻重憲氏は『史談くぼかわ・第5号』で「仁井田郷談によると、慶安の頃(1648~1651)、須崎の郷士武政善長、俗名利衛門が開発していたが、その終わりを全うせず打ち捨ててあったのを、小倉家(小倉小助?)が開発した土地で、加江坂本村の枝村と記してある。善長が六反のみ開発して打ち捨てたという地名由来、また本田は或る年期になるとクジ引きで組み分けされ作らす制度があった。この組み分けが一組六反であったので六反地というようになった説もある」
仁井田が開かれていく過程を地名に刻んだ、まさに開発地名である。
【字】(あいうえお順)
合水谷、井ノ上、牛ヅカノ本、柿ノ木ノ本、上新田、京田、久保タ、倉木谷口、桑原、クワバラ谷口、小向、善長駄場、瀧山、戸樋ノ本、鳥ノダバ、長山前、野田ノ前、山神ノシタ、山崎、ユヅリ葉ノ本【20】
※集成図に記載のない字マスター登録の字。「合水口」、「石黒ノ本」、「石黒本」、「栗ノ木窪」、「桑山」、「古屋」、「松ノ本」【7】
(字一覧整理NO.順 六反地p100)
1桑山(クワヤマ)、2合水谷(アイミズタニ)、3山崎(ヤマサキ)、4長山前(ナガヤママエ)、5桑原(クワハラ)、6山神ノシタ(ヤマカミノシタ)、7柿ノ木ノ本(カキノキノモト)、8クワバラ谷口、9戸樋ノ本、10栗ノ木窪(クリノキクボ)、11合水口(アイミナクチ)、12上新田(カミシンデン)、13善長駄場(ゼンチョウダバ)、14瀧山(タキヤマ)、15小向(コムカイ)、16松ノ本(マツノモト)、17井ノ上(イノウエ)、18久保タ(クボタ)、19石黒本(イシクロモト)、20ユヅリ葉ノ本(ユズリハノモト)、21京田(キョウタ)、22倉木谷口(クラキタニグチ)、23牛ヅカノ本(ウシヅカノモト)、24野田ノ前(ノダノマエ)、25鳥ノダバ(トリノダバ)、26古屋(コヤ)、27石黒ノ本(イシグロノモト)
【ホノギ】六反地村/枝村:六反タ村
〇高岡郡久礼分地検帳之事(高岡郡下の1/検地日:天正16年2月21日~22日)
▼六反タ村(p637/検地日:天正16年2月21日)
六反ダ、ヤクロ、アリノキノ窪、
▼六反地村(p638/検地日:天正16年2月22日)
六反タ柿ノ木本、宮ノ本
【通称地名】
【山名】
山名(よみ/標高:)
【峠】
峠(地区△地区) ※注記
【河川・渓流】
【瀬・渕】
【井堰】
【城址】
【屋号】
【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳
和霊神社/17われいじんじゃ/鎮座地:桑原 ※村社
大山神社/17おおやまじんじゃ/鎮座地:桑原 ※村社
長山霊社/18ながやまれいしゃ/鎮座地:(冨町小谷平)
恵美須神社/19えびすじんじゃ/鎮座地:山崎(富町)
山之神社/20やまのじんじゃ/鎮座地:クワバラ谷口
■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅰ」)
地検帳の記録では、六反タ村と表現している箇所と、六反地村と表現している箇所があり二通りに書き分けられている(同p289)。検地を始めたのは天正16年2月21日のことであり、翌22日には終了
・神社
和霊神社 大山神社(村社/字桑原鎮座)/合祀:天神社、竈戸神社 境内社:水神社
長山霊社(無格社/字冨町小谷平鎮座)
恵美須神社(無格社/字山崎鎮座)
山之神社(無格社/字桑原山崎鎮座)
■州郡志(1704-1711宝永年間:下p256)
六反地村の四至は、東南限川西限神有村北限加江坂本村縦七町横二町其土黒交砂
山川は、横山、長畝山
寺社は、大明神社とある。
■郷村帳(1743寛保3年)
寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高161.547石、戸数19戸、人口70人、男36人、女34人、馬7頭、牛10頭、猟銃0挺
■南路志(1813文化10年:③p297)
146加江坂本村 仁井田郷本堂之内、又云久礼郷十村之一也 地百六石二升三合
六反地枝村慶安年中、須崎村郷士武政利右衛門開撥せしに、功を不成して其後小倉少助新開発也。
※加江坂本村の枝村として「六反地」の記述がある。
■ゼンリン社(2013平成25年)
p32:六反地、JR土讃線、六反地駅
p31:六反地、和霊神社
■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)
六反地、六反地駅
■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)
特になし
■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)
桑原谷橋(桑原谷川/六反地字桑原431-7)
■四万十町頭首工台帳:頭首工名(所在地・河川名)
■四万十町ため池台帳:ため池名(所在地・貯水量・提高・受益面積)
■高知県防災マップ
■四万十町広報誌(平成30年10月号・平成22年8月号)