地名文化財

だれもが地名は文化財ではないというので、

編集子が勝手連風に勝手放題に相手に相談もせず勝手に選定した地名文化財


Vol.10 認定地名文化財 「仁井田郷談」の地名

 「仁井田郷談」は、明和7年(1770)に儒者であり医師であった甲把瑞益が、戦国時代を中心にして、仁井田郷の由来、区画検地(石高調査)、仁井田五人衆七人士の居所分限郎従とその興亡を記したもので、郷土史研究の原典ともいうべき貴重な著述である。窪川の村の地名や変遷がよく理解できる。

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Vol.26:認定地名文化財 「仁井田巡り自動車唱歌(昭和7年)」

 大正12年ごろには久礼港から窪川台地へ物資の往来に貨物自動車や、相前後して野村組自動車(後の県交通)の乗合自動車が走るようになった。昭和26年11月土讃線窪川駅の開通まで役割を担った。窪川駅前の賑わいは今の高知駅以上ではないか。

 この自動車唱歌。当時の車窓の風景が映しだされ、仁井田米・香り米もでてくることから地名文化財第1号に認定する。

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Vol.25:地名文化財 No6「東」

 広い区域を、東西南北や上中下と地名の頭に冠して区分することは便利である。確かに分割地名は、ひとつの時代、かつ一定の地表空間における、配置やそれらの相互関係を示している。当時、どこを基準として方向地名(分割地名)がつけられたのか。方向地名からその時代における集落や郷の中心地や生業、往来の姿を読み取れることができるのが面白い。

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Vol.24:地名文化財 No5「五」

 指が五本あることから、「五本の指に入る」と表現して、基本的には優れている人やモノを掲げ、いわばその世界のすべてであるように示される。五方、五行、五体、五臓、五感、五穀、五大陸、五街道、五摂家などなど。

 また、五月(さつき)、五月雨(さみだれ)、五月蠅(さばえ/うるさい)のように「五」を「サ」と発音するのはどうしてか。サナエ(早苗)は稲の苗で、サミダレ(五月雨)は五月の稲の成長を進める雨 →もっと見る 地名文化財「五」

Vol.22:地名文化財 No4「藤」

 今日は司馬遼太郎さんに会ってきた。といっても高知県立文学館の特別企画「没後20年司馬遼太郎展」である。丁度、「この国のかたち」を読み直していたところだったのであり、この日4月30日は、関連企画の木洩れ日コンサートでNHKドラマ「坂の上の雲」のエンディングテーマ曲スタンド・アローンのバイオリン演奏もあるという。

この県立文学館の所在地が藤並の森。藤並神社跡である。 。 →もっと見る VOL.22地名文化財No4「藤」

Vol.21:地名文化財 No3「焼畑」

 民俗文化映像研究所の姫田忠義所長が、自ら撮影した記録映画「椿山ー焼畑に生きる」を携えて大正中央公民館にやってきたのは10年位前であった。この映像の「椿山」は石鎚山系の南方、池川町を流れる土居川の上流域の急峻な渓谷の斜面にある。この椿山の焼畑を中心とした一年の生活と集落の人々の生きざまを4年間にわたって記録した民俗映像である。日本での焼畑は終焉している。これが最後の焼畑記録映像であろう。 →もっと見る VOL.21地名文化財No3「焼畑」

Vol.20:地名文化財 No2「白と黒」

 文化や暮らしの違いから色の意味が記憶の中で変化して固定化され、それが地名などの命名動機として反映されてしまう。
例えば、白は、出発、清潔、勝利、軽量、一般をイメージし、黒はその対象となる、老化、汚れ、敗者、高級、権威をイメージし、モノを描くイメージとしてその色を取り入れ、彩色したり、赤ちゃんを名づけの動機になり、地名の由来ともなってきた。   →もっと見る VOL.20 地名文化財 No2「白と黒」

Vol.19:地名文化財 No1「樋(ひ)」

 毎月1題お話する地名のキーワード。今月は「樋(ひ)」。お米を統治する国、その源には田を耕す人がいる。その耕す人が基とするのが土と水で、水の確保が新田開発の橋頭堡となり、その導水に使 うのが「樋」である。字統で調べたら国字ということで甲骨文字はない。「峠」も「畑」も「匂」も「杜」も「辻」もそうだ。編集子の好きな和字でもある。

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